女性のシェフが増えてきたといってもまだまだ難しい理由(その2)
昨日の記事でも書いたシェフに、フランス修行時代のお話しを聞く機会がありました。
「フランスで修行したときの同僚で、フランス人女性がいたけれど、ガッツあったね。
いつも人より早く朝一番で厨房に入っている。
今日こそは一番だ、と思っても不思議と先に来ているんだよ。」
「開店したら、厨房はもう戦争状態。
バタバタしていて、彼女、鍋の取っ手に火がかぶっていたのを知らずに素手でつかんでね。つかんだ瞬間、手からぶわっと煙があがった。
あっ、と思ったけれど、止められなかったよ。
鍋には大事なソースが入っていて、手を離すとこぼれるでしょ。
『ううっ!』とうなって、つかんだまま皿に移した。
ぼくだって、日本から来て、フランス人に絶対負けるもんか!と思ってやってたけど、このときばかりはかなわないなあ、と思ったね。」
以前、「オテル・ドゥ・ミクニ」の三國清三シェフがテレビのドキュメンタリーで、モタモタしている弟子に思い切り蹴りを入れているところや、げんこつで頭を叩いている場面をみたことがありました。
仕事が終われば、弟子にもすごくやさしい三國シェフですが、調理場では鬼のようでした。
また、プロの世界では序列が厳しく、シェフがトップで、その次がスー・シェフ(2番目)そしてその下に持ち場別にシェフがいる、という軍隊のような構造になっています。
そして、一人一人がその道のプロであり、プライドも高い職人たち。彼等をを束ねるには相当の力と気迫がないと務まりません。
こういう話を聞くと、女性はかなり覚悟していかないと難しいかもしれない、と思ってしまいます。
続かないことが多い、というのも素直にうなずけてしまうのです。
ただ料理の世界、男であろうと女であろうと、厳しいことには変わりないようです。
なぜなら、お客さんにとっては、料理人が男女どちらであろうと関係なく、「美味しい料理を食べて幸せな時間を過ごしたい」だけだからです。
そこには、命を削るようにして、厳しい修行と修羅場を乗り越えてきた料理人たちがいます。
料理の女神が微笑み、私たちに極上の口福を届けてくれるのですね。
食への探求とは、幸せと歓喜と、そしてなんと多くの献身と犠牲の上に成り立っているのでしょうか。