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私が指導を努めるコール・リバティストの練習日記です。

2月27日(土)は小屋敷先生のご指導で、『光る砂漠』より「ふるさと」を練習しました。
『光る砂漠』は1966年に21歳の若さでこの世を去った詩人、矢澤宰の詩による組曲です。

矢澤宰は腎臓結核のため子供の頃から入退院を繰り返していました。
絶対安静のためベッドの上の生活。青春の憧れときらめきを詩に託しています。

「ふるさと」の中で矢澤宰は
「遠い記憶が足からよみがえった」
と書いています。

元気だった頃、裸足で駆け回った感触を足が覚えているのですね。

小屋敷先生より、画家で詩人の星野富弘さんのお話しがありました。

星野さんは体育の先生で、体操の指導中、宙返りを失敗し頭から墜落。重症を負い、その後首から下がまったく利かなくなってしまいました。筆を口にくわえて絵を描き始め、その横に詩を書き添えるようになりました。

私は、初めて星野さんの絵を見たとき、口で描かれているなんて想像もつきませんでした。
その星野さんのある詩の中に「感覚のない足が土の感触を覚えている」といった内容のものがあるのだそうです。

2008年6月8日の日経新聞朝刊「社会人」という記事が自宅の冷蔵庫にはってあります。

(以下引用)

「奮起」

熊本県阿蘇山中腹の丘に立つ美術館。
館長の大野勝彦さんは約20年前、45歳のとき農機具を清掃中、両腕を切断しました。
回転する機械に右手が吸いこまれたのです。

骨が砕ける音。指がつぶれていく感触。
「助けてくれ!」。
大野さんの叫び声に母親が外に飛び出しましたが、機械の操作など分かるわけがありません。
思わず伸ばした左手も巻き込まれました。

わずか1分ほどの出来事が数十分にも感じられ、三人の子供さんの顔が頭をよぎります。
「ここで死ぬか、手を切るか」。
全身に力を込め、後ろに倒れこむように腕を引き抜きました。

病院のベッドで目を覚ますと両腕に包帯。
残されたのは、右腕がひじ先8センチ、左腕が11センチだけでした。

農家の長男。
人より強い腕っ節が自慢で、他人の意見を突っぱねてきました。
家では亭主関白。
ずっと「威張って生きてきた」。

事故後、自分を悲劇の主人公と思いました。
ベッドのそばを離れなかった母親に
「おっかさんがトラクターの電源を切ってくれれば、おれは両腕を失わずにすんだ」
という一言が口を突いてでました。
母親は自らを責め肩を震わせて泣きました。

当時中学三年の長男が満面の笑みで見舞いに来ました。
「こんな状態なのに何を笑ってやがる」

しかし、事故から3日目、看護師さんの一言に大野さんの心は揺れました。
「息子さんらは病室の外ではいつも辛そうに泣いているよ」。
父親を必死で支えようとしている優しさに気が付きました。

「ありがとう」と言ったこともない大野さんは悩みぬいた末、右腕に筆をくくり付けたのです。
激しく痛み、額に脂汗。
医者から止められてもあきらめませんでした。
『ごしんぱいをおかけしました。これくらいのことでは負けません。
多くの人が私をまだ必要としているからです。がんばります。』
(事故3日目の作品)
初めての「本音」でした。

同じ病室にいた末期症状の女性が「何か困ったら言ってね」。
「お返し」で贈った似顔絵を機に絵を描き始めました。
そして「言いたい事」を必ず添えました。

大野さんは2003年7月、阿蘇山の県有地を買い取り、作品を展示する美術館を開きました。
どん底で放った一言で傷つけた母親を「喜ばせたい」と夢見てきたのです。
テープカットで母親は涙を流して喜びました。

今は講演のため全国を飛び回りながら絵と言葉を書き続けています。
「人の優しさに応えたくて描いてきた気がする。」
と無愛想だった大野さんは不思議なぐらいの笑顔で「本音」を言えるようになりました。

(以上引用)

・・・ついお母さんに言ってしまった一言。
人間、どん底の極限状態ではだれしも、自分の「エゴ」という猛獣が一気に暴れだすのだと思います。
大野さんは息子さんたちの優しさに触れ、自分のエゴを見つめ、その猛獣を飼いならすことができるようになったのではないでしょうか。

記事にはありませんでしたが、そこから先がまさに正念場。
悪戦苦闘の日々であったと思います。

義手を使っているとはいえ、思い通りに絵を描くことは大変難しいことです。

しかし、その絵、すっとひかれた線に迷いがない。

描き手の人生哲学、生き方そのものが画面に出ている、と感じます。

だからこそ多くの人々を感動させるのでしょう。

「ありがとう」の気持ちを表現するために、怪我をした腕に筆をくくりつけた大野さん。
わきあがる気持ちをどうにもおさえることが出来なかったのだと思います。

こんな時、技術とは何だろう、発声法って何なのだろう・・・・、と考えさせられます。
そして、私達はなぜ歌うのか?

原点に戻って、静かに自分を見つめ直すことも必要なのかもしれませんね。

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