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ライフワークとしての音楽を考えていきます

見えないもの聴こえないものにこそ命をこめる

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「ダダダダーン!」
ベートーヴェン作曲交響曲第5番「運命」のテーマです。

ベートーヴェンが自身が「運命はこのように扉をたたく」と言ったことから、「運命」と呼ばれるようになりました。

実はこの曲、いきなり「ダダダダーン!」と始まっているわけではありません。
その前に8分休符という短いお休みの記号がついているのです。

休符ですから音が出ませんので、CDを聴いているとあたかもそこから音楽が流れているように聴こえますが、楽譜の一拍目は休符から開始しています。

なぜ、ベートーヴェンはわざわざ一拍目を休符にしたのでしょうか?

指揮のレッスンで伴奏ピアニストをしていた経験があります。

通常指揮者のレッスンは、オーケストラ何十人をそろえて実践的に行うわけではなく、ピアノ2台でオーケストラのスコア譜を弾いてもらってレッスンをします。

その先生のレッスンは学内はもとより、他の音大を卒業して来るような指揮者のタマゴが集まっていて、毎回大変レベルの高いレッスンが繰り広げられていました。
弟子たちは、先生がおられる午前中から夕方まで、スコア片手に他の生徒のレッスンまで熱心に勉強しているような雰囲気がありました。

その日のレッスンで「運命」を用意してきている指揮者がいました。

先生が「今日はベートーヴェン5番?」
と言ったとたん、「おお~」とか「うわあ・・・」とかいう小さなどよめきが起こりました。

指揮者にとってこの曲が難しい一つの理由は、最初の休符を振らなくてはならないところにあります。
曲の出だしが休符、しかも、ユニゾン(全員同じ音)で早いテンポ、などという曲はめったとないように思います。
もしオーケストラが乱れようものなら、どんな聴衆もすぐにわかってしまうでしょう。

レッスンが始り、指揮棒を振り上げたとき、先生が「あ、ちょっと待って。一拍目(休符)をどう演奏していいのかわかりにくいね。」

「音がないけど、その休符がどんな音楽になるかわかるように」
とおっしゃいます。

次に棒を振り上げ、『ウンッ(休符)ダッ・・・・!』のところでまた先生が
「待って」と止めます。

「休符はわかったけれど、『ダダダダーン』の『ダ』をもっと重く出来る?そのためにはこの8分休符がとても大事なんだよ」

そのために、休符を重く振るのです。
指揮棒の重さなんてたかだか7グラムくらいしかないところをこちらに重く感じられるように振るということです。
そして音の無いところから次の音が予想できるようにしなくてはなりません。

この出だし、レッスンでは何度もやり直しを行いましたが、教室中、緊張感で張り詰めた空気に変わっていきました。

8分休符があるために、「運命」という曲は異常なまでの緊張感で始まるのです。
もし休符が無かったとしたら、もっと安定感のある別の音楽だったことでしょう。
「運命」のテーマに休符を書いたベートーヴェンの凄さを改めて思い知らされます。

音のない休符にある作曲家の思いをどう表現するか、いかに命をこめるか、というのは音を出していないだけに、とても難しいことだと思います。
休符の演奏にこそ真の実力が問われるのです。

それでは、韓国の指揮者チョン・ミュンフンによる演奏を聴いてみることにします。

並外れた集中力と緊張感、強靭な精神力を持って、一撃で決めているミュンフンの指揮は素晴らしい。すごい指揮者だと思います。

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