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IT業界のコメントマニアが始めるブログ。いつまで続くのか?

池田信夫 blog からの締め出し【取扱注意】※長文

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※今回も、おそらく今回も印籠(免責)を掲げておく必要がありそうです^_^; 補足すると、(私の勤務先だけでなく)ITmedia も、このエントリに関する責任はありません。

さて、津田さんとお会いしたことで、とくに自分の意見が変わるということもなかったわけですが、新たに想起されたテーマがいくつか出てきました。それらについては、改めてエントリを起こしたいと思いますが、今回は別の件を取り上げます。実は津田さんにお会いする直前に池田信夫氏のブログのエントリにコメントを書いたのですが、自宅に戻ってみたら、これらは池田氏によって削除されており、私の gooID によるコメントも禁じられてしまいました。本来、個人批判につながりかねない内容は、(以下の通り)個人のブログでひっそりと書きこんでいるのですが、今回は、ちょっと問題提起としたく、あえてこちらに書きこみます。

実は、池田氏にコメントを禁じられたのはこれが2回目です。最初は、「著作権がイノベーションを阻害する」(池田信夫 blog)に対するコメント、およびトラックバック(「「著作権がイノベーションを阻害する」への指摘」)を書いたときでした。池田氏には「mohno氏の議論は徹頭徹尾まちがっており、しかも下らない揚げ足取りを何度も繰り返すので、答えるのは時間の無駄」と指摘を受けたのですが、私から見れば、話がすりかえられているだけで、直接的な間違いの指摘は何ひとつなされていません。

今回の件も、先のエントリで「著作権不要論」を明言された池田氏に、自身の主張を自著に当てはめてみられるのか、という単純な話だったのですが、回答が二転三転したあげくに私のコメントを「理解不能」とされ、削除、gooID 受付禁止となったわけです。なお、削除前の内容については、Web 魚拓で確認できます(削除されたのは 2008-02-02 18:35:13 と 2008-02-02 18:36:15 のコメントです)。

経緯の説明が長くなりましたが、まず取り上げたいのは「コメントを削除することの問題点」です。コメントの内容が、運営者以外の他人に対する誹謗中傷が含まれているのであれば、運営者自身の責任問題になりますから、削除しなければならないことはあるでしょう。しかし、「理解不能」ということは、削除する理由にはなりません(もちろん、匿名での誹謗など、削除やむなしと思うことはあります)。私などは、コメントが削除されていると「理解不能なことが書かれていた」とは思わず、「理解されては困る話が書かれていたのではないか」と推測してしまうのですが、中には「理解不能なことが書かれていた」と鵜呑みにする人がいるかもしれません。私のコメントの前にも、元BK(ID=bcotzeater)さんという人に対して「つまらない話を何度も投稿するのはやめてください」と指摘されているのですが、それらしいコメントは削除されているために、「つまらない話でないものが投稿されたのではないか?」と思ったりします。しかし、中には「つまらない話が何度も投稿されたのだろう」と思う人もいるでしょう。

もし、コメントが削除されずに「理解不能」であるとして ID の受付が禁止されるのであれば、第三者は「たしかに理解不能なコメントが書かれている」と理解した上で対応を支持するかもしれませんし、「理解不能とは思えない」と判断するかもしれません。そもそも「批判があったら、ここにコメントしてください」(上記エントリ中の、池田氏の 2008-01-31 13:45:29 のコメント)と書かれているにもかかわらず、第三者に判断をできないように(削除)してしまうというのは、「批判を受け入れる姿勢」を持っているようには見えません

もうひとつは、「前提条件の一貫性」です。そもそも今回の池田氏のエントリ「天羽優子氏の記事についての公開質問状」の元ネタになった話は、池田氏の「コンピュータの「戦艦大和」はもういらない」というエントリに対する、荒木圭典氏のはてブのコメント「科学計算とWebサーバか何かを同列にイメージしている愚論」という記述です(後述のとおり、このコメントは事後に修正されています)。このコメントには牧野淳一郎氏の「スーパーコンピューティングの将来」というサイトにリンクが張られているのですが、池田氏は、「gooブログの品質管理」というエントリにおいて「自分のコメントを否定するサイトにリンクを張った荒木圭典のような間抜け」と指摘しています。

まず、荒木氏のコメントもそうですし、荒木氏が自分の意見として表明されているのは「技術的な事実誤認」を指摘したものです。この点について、先のエントリには荒木氏自身がコメントされ、池田氏の「根拠を示してください」(2007-11-21 08:58:05)という指摘に対して、その根拠へリンクしたコメントを投稿されています(2007-11-22 07:09:48)。これに対し、池田氏は技術的な反論をせず、「あなたが私を侮辱するコメントを削除すれば、私も削除するといっている」と書かれています(2007-11-22 08:38:45)。この後、荒木氏は、はてブのコメントにある「愚論」という表現を「論」に変更されています(私見ですが、もともと愚論=愚かな論であり、愚者の論ではないので、人を侮辱するコメントとは思えません)。しかし、池田氏はこれに応えていないどころか、この修正をもって「荒木氏が池田氏の主張を認めた」根拠としてしまいました。

そして、この経緯について天羽優子氏が「池田信夫による名誉毀損になるかもしれない実例証拠保全」というエントリで取り上げていたのですが、池田氏がこれを削除するようメールを送ったところ、天羽氏が「池田信夫氏からのメール」という新たなエントリでこの内容を公開したため、池田氏が、この「天羽優子氏の記事についての公開質問状」というエントリを書かれました。池田氏は、このメールで「私は、彼が引用した牧野淳一郎氏のサイトに、彼の論旨と逆のことが書いてあることを「間抜け」と呼んだのであり、これは彼も認めました」と書いています。しかし、上記のとおり、荒木氏は侮辱する(ように見える)表現を削除しただけで、池田氏の主張を受け入れていません。さらに、最近になって(話題になっていることに業を煮やしたと思われる)牧野氏自身が「池田氏の事実誤認」という趣旨の記事を公開されました。池田氏は 2008-02-04 00:29:59 のコメントで「本質は、技術論じゃない」と書かれているのですが、荒木氏は最初から技術的な事実誤認を指摘しているのであり、技術論じゃない点についての批判はありません。もはや、「自分のコメントを否定するサイトにリンクを張った荒木圭典のような間抜け」という前提条件は崩れています。

天羽氏が断りもなく私信を公開したことについては、議論の手法として、あるいは偽メールの可能性を考えると、私は全面的には支持しません。しかし、もともと当該エントリには「なお、クレームがあったら手段を問わず実名で公表しますのでそのつもりで」と明記されています。池田氏は、この点について「「クレームがあったら手段を問わず殺害しますのでそのつもりで」と書いてあるサイトにEメールを出した人が殺されたら、「仕方ない」と思うんですか」と指摘されているのですが(2008-01-30 00:35:04)、私信の公開は了解があれば適法であるのに対し、殺人が了解の有無に関わらず違法であることを考えると、的を射た例えであるとも思えません。そして、このような状況にも関わらず、池田氏は「本質は、技術論じゃない」とだけ締めくくっています。「技術論じゃない」点については(牧野氏も荒木氏も)反対されてはいないわけですが、もともと“技術的な事実誤認”について指摘した荒木氏を間抜けと呼んだことについては(今のところ)撤回も謝罪もないようです。

当然ながら、池田氏の主張が全部デタラメだというのではありません。むしろ、池田氏の主張には耳を傾けるべきものが少なくありません。しかし、今回のように「技術的な事実誤認の指摘に対する批判」という前提を、いつのまにか「技術的でない問題への批判」という条件にすりかえて、何の対応もされないという姿勢には大きな疑問を抱かざるをえません。批判を正面から受け止められない人の発言は、とくに批判する側から信用されにくいという点で、池田氏の信頼性を揺るがしかねないものと思います。先の牧野氏の記事から言葉を借りれば、「無知と事実誤認に基づいた批判は、結果的に「批判は無知と事実誤認に基づくものである」という反論を容易にさせる」ということになります。

私は、前提条件の一貫性は、議論する上で非常に重要なことだと考えています。池田氏には、このエントリのコメントで私の「粘着」体質を指摘されているのですが、こじれるのはたいてい前提条件がふらついている(あるいは疑わしい)場合だけです。前提条件さえ一致すれば、意見は人それぞれで、違いにこだわってもしかたがないからです。削除された私のコメントについていえば、池田氏自身が「著作権は要らない」と信じているようには見えないのに、「著作権は要らない」と主張されているようで、一貫性があるように見えなかったからです。(逆に、主張に一貫性はない、と明言されてしまうと、それ以上追及できなくなってしまうわけですが)

ちなみに、津田氏からは(私に対して)「後で謝れば間違っていてもいい、ってわけじゃないでしょ」とも指摘されたのですが、私は別に後で謝れば間違っていてもいいと思っているわけではありません。しかし、(津田氏にもお答えしましたが)間違っていることを認めながら謝らないというのは、私には理解しがたい神経であると付言しておきます。

余談ですが、今回の件を「実名の弊害」として匿名擁護の根拠とする意見がありますが、私は賛成しません。ある意味、池田氏は実名で意見を書かれているからこそ、上記のような批判を受けることができます(逆に、私が再反論を受けることもできる)。しかし、相手が匿名である場合、このような批判は意味を持ちません。(「必要なのは実名ではなくトレーサビリティ」)

また、コメントは歓迎しますが、池田氏への個人批判は避けてください。私の池田氏への批判内容については、私自身で責任を負いますが、皆様の発言についてまでは責任を負えないので削除する可能性があります。
※追記。断りなく変更した箇所があります。

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