外資だからこそ、日本人のアイデンティティを意識する
大木さんが『外資系勤務は看板?』、高橋さんが『「外資系」ということの、優越と憂鬱 「出ない杭は、腐る」』という良エントリーを書かれています。
私も外資系企業しか(というか日本IBMしか)経験がありません。
私自身は、「IT企業で働いている」とか「外資系企業で働いている」という意識よりも、「IBMという会社で働いている」という意識の方が強いですね。
その意味では、「三菱グループで働いている」とか「松下グループで働いている」という意識に近いのかもしれません。
ただ、恐らく日本企業で働く場合と違うのは、IBMという会社で働いていて、学生の頃よりも、日本人のアイデンティティとは何かをより強く意識するようになったことです。
学生の頃から、山本七平の本や海外の日本について書かれていた本を読んだりして、「日本人とは何か?」を意識していました。
しかし、実際の仕事で海の向こうの人達と仕事をしていると、日本ではあうんの呼吸で伝わる話が伝わらなかったり、ロジックの権化のような人がいたり、一方でアジアの国ではロジックが全く通じなかったり、という経験を沢山させていただきました。
このような経験もあって、「日本人とはなんだろう?」ということは、学生の頃の耳学問から離れて、かなり身をもって体験できる環境にいました。
同時に、日本人としてのナショナリズム、というか、大げさに言うと「彼らに対して、自分は日本を代表している(のかもしれない)」、というような感覚をかなり意識するようになりました。
現在も日本に来ている外国人と一緒に仕事をしていますが、彼らも日本人とのコミュニケーションに、色々なジレンマを抱えながら仕事をしているようです。
あちら側ではあちら側の悩みがある、ということですね。
こんな彼らの悩みを聞く時、今まで私がこちら側で体験し考えてきたことを、あちら側の彼らに話すと、ちょっとだけ彼らとの距離が縮まったりします。
結局、こちら側の日本人でも、あちら側の外国人でも、根のところはそんなに違いはないのではないか、というのが、最近の思いです。