世界の構造が変わる予感
このところ、毎月米国に行っているが、最近とみに感じるのは、アメリカの繁栄はそろそろ終焉を迎えるのではないかということだ。
米国のベンチャー企業への出資をしているが、まず企業経営に関する基本的な理念や最低限のインテグリティがないのが気になる。これは資金の行き先がなく、一方である意味でベンチャー投資がバブっていることから、要は規律なき経営でも、技術があるように見えれば資金がつくからだろうと思われるが、元銀行員の立場からすれば、全く考えられないほどルーズな形で経営が行われ、そこに巨額の資金がつき、しかも資金を出した側も経営状況をモニターできないような市場になっている。
しかも、それらにかかわる人材は、それなりに高給を食んでおり、しかも経営に失敗しても、また戻ってくる。もちろん失敗を認める社会が必要であることには異論はないが、それはあくまでそれなりに努力をして経営に携わったことが大前提。本来すべき規律ある経営すら出来ていないとすれば、これは大問題だ。
従来から主張しているように、米国はその民度がかなり劣化してきており、不幸なことにこれをまねる我が国も徐々にこれを追随しているのだが、これだけ愚鈍な経営者と従業員が、そうは言っても一人当たりの国民所得で我が国を遥かに凌駕していることが理解できない。それでも世界と協調関係を築いていけば、相応の市場規模があるのだから、各国ともこの存在を認めるしかないわけだが、これが現政権の通商政策に基づきキックアウトされることになれば、もはや付き合う必要はないわけで、そうすると米国企業は崩壊し、米国国民も路頭に迷う、しかもこのような激変が一瞬にして起こる可能性すらあるように感じる。それぐらい能力と報酬の間に大きなかい離が生じているように感じている。
これも、プロテスタントの偉大なる宗教国家であり、WASPの国であり、様々な改革を行ったとは言え、あい変わらず白人至上主義から脱却できないアメリカという国家の宿命なのかもしれない。