決断と信念
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どうもこのところドタバタで間が空いてしまっている。最近、ゴーン氏の事件、経産省の産業革新投資機構、韓国のレーダー照射など、何となく過激な話が多い気がする。
その中で、昨日の天皇の誕生日会見の話を聞いた。もちろん象徴天皇なので、何も政治などについて決定する権限があるわけでもない。加えて、ある意味宮中に拘束されているのだから、本当の社会などを知ることは困難であろう。
だが、第二次大戦の責任を一手に背負った昭和天皇の長男として生まれ、その後の戦後復興の時代を父親とともに、そして昭和天皇崩御の後は自ら過ごしてこられた現天皇のご苦労はいかほどだったか、想像の域を超えている。
その中で、ある意味戦後の民主主義と平和憲法の趣旨を貫徹し、被災した国民に寄り添い、様々な東南アジア、太平洋島嶼国を訪問されて、慰霊をされたことは、統治権限とかいう政治・法律用語を超えて、現天皇が名君の一人としての資格を有しておられることの証左だと感じている。そして、退位するという決断そのものもまた、まさにそのことを示しているのではないか?
強権に怯えて何も言えなかったことに対する反省のない某社の経営陣、本来の目的達成のための仕組みを考えてこなかった安易な官民ファンド、相変わらず先を見据えての国際関係構築を考えることのできない某国の体制、などを見るにつけ、さらには我が国の現実の行政の歪んだ方向性に鑑み、現天皇の信念に敬服する次第だ。
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