日本の劣化をどう回復するか?
今朝報道番組で丁度50年前の事件のことを討議していた。安田講堂事件だ。もう50年も経ったのかと感慨深いものがあった。もともと医学部の学生の不当退学から始まった闘争だと理解しているし、結構院生や助手など大学の中ではシニアな方々が関わっていたと記憶している。
いずれにしても、最大のポイントは学問の自由が認められている学内に、大学側が警察権力の介入を要請したことだ。これが、我が国の大学の意味付けを多少なりとも変えたことは間違いないと思うし、大学、特に国立大学のファッショ化につながったことは否めない。つまり若者の体制に対する批判精神の発現を抑制するような効果があったのではないか、と思うのだ。
これが、ある意味では我が国の知性の衰退のきっかけになったということは、私が常に主張している通りだ。それにつけても、知性以前のあまりにずさんな行政機関や大企業の行状を見るにつけ、暗澹たる思いになるのは私だけだろうか?日産の事件も、ゴーン氏がこんなにひどかった、というようなイメージで報道がされているが、あれだけの様々なしかもある程度大きな金額での不正が本当に行われていたとしたら、誰かが発見してしかるべきだし、そもそも関与した人が内部に多数いるはずだ。その根本的な問題を後回しにして、議論していること自体の我が国の知性の劣化をもっと真剣に考えるべきだ。
現在の我が国の体制自体が、一強体制と言われるがごとく偏っており、その下での社会政策、経済政策、外交などに様々な問題があることに鑑みれば、今こそ若者たちが体制に対してきちんと見解を述べ、行動を起こすべき時なのではないか?米中問題にしても、北朝鮮問題にしても、英国の問題にしても、韓国との様々な問題にしても、国連の問題にしても、すべてが機能不全に陥っており、これまでの体制や考え方ではなり立たない今、新たな仕組みづくりを日本から提言する、そのような気概を持った人々に期待したい。このままでは我が国はひたすら埋没し、国民国家としての存在自体が危ぶまれる。