原理原則を大事に!
先日国際課税の議論を聞いていたら、要は国の年金制度は財政上の限界があるし、金利が低いから預金に入れておくだけでは老後の蓄えも不足する可能性があり、株に投資しやすいように株式投資などの資産形成に関する課税を考えるべきだとの議論があった。併せて、相続について、相続時の評価ではその後株式の価格などは変動するから修正出来るようにすればとの議論。
確かに、年金財政は厳しい。日銀の政策は奏功せず金利は上がらない。だが、ではアメリカが過去にやったように株式投資を税制などで誘導することが適切なのか?何故株式投資をしないかと言えば、それは証券会社や一部の投資家などの作りあげた過去があるからではないのか?現実に日本の株式市場の株価を動かしているのは海外の投資家だとすれば、そもそも株式市場は必要なのか?
ましてや、我が国の産業や経済が今後も相応の成長をするという確証すらないのに、益々先見性を失いつつある我が国産業への投資を政府が積極的に勧めることは本当に出来るのか?まずは、我が国憲法の想定している社会保障制度を念頭に、国家が老後を相応に保障するという観点を重視すべきであり、株式投資をどうぞというのは国としての責任回避でしかないと感じる。
そもそも我が国の経済構造を念頭に置けば、直接金融を念頭に置いた仕組みが本当に成長資金を確保するベースとして適切なのか、再度金融システムを含めた本質的な議論をすべきではないか?その上で、間接金融を含めた長期資金の提供方法とこれを踏まえた相応の長期金利の上昇による国民の資産形成のための対象商品の確保も検討すべきではないか?
また、相続財産の価値が上下することで、相続人が納税に関して影響を受けることは事実だが、そもそも自らの努力で得られた財産ではないものであり、そこまで配慮する必要があるのか?中国の故事に立ち返り、子孫の為に美田を残さず、相続財産にはもっと課税すべきであって、貧富の格差が必要以上に発生する仕組みは廃止すべきだ。もちろん実際に相続財産を処分することの時期的な問題などで、相続人が困るところは、相続税の納税方法などでカバーすれば良い。
何だか、個々の領域で困ったことが発生すると、これに対して対症療法的に対応することが益々多くなってきているように感じる。物事にはそれぞれの原理原則があり、社会にもそれは存在する。個々の事象に対応する過程でこれを見失うことにないようにしなければならない。昨今の政府の情報隠しなどは、まさにその好例ではないか?