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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

何か明るいニュースはないのか?

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そもそもいつもネガティブなことしか書いていない私が言うのもなんだが、どうも明るいニュースが少なすぎる印象がある。

国連におけるエルサレム首都の否定の決議に対する米国大使の恫喝は、国際社会において何が起きているのか、と重く受け取らざるを得ない事象だ。もちろんトランプという人の問題はあると思うが、世界中で起きている様々な対立を考えると、人間という生き物に、やはりその親和性は期待できないのか、仲良くやろうというのは幻想だったのか、と感じざるを得ない。地球上の生命体の中で圧倒的な発達を遂げ、脳という科学技術では未だに解明できない仕組みを持つ人類も、やはり滅びる運命なのか?そしてそれは結局奪い合い、罵りあい、憎みあいなのだろうか?

老人の孤独死が増えているそうだ。家族を重んじる日本の社会においては、基本的に施設型よりも在宅、訪問型が中心であり、現在の政府の方針も、病床を増やすのではなく、在宅型を推進する方向に働いているし、実際に個人の立場になっても、自宅の方が安心するのは事実だろう。だが、一方で連れ合いがなくなり、子供たちは遠方で仕事をし、生活を営む、そんな家族が当たり前の社会で、本当に面倒を見てくれる家族は必要な時にいるのか?核家族化が進み、子供が大きくなれば犬でもいないと近所の付き合いも亡くなり、寂しい限りだ。

それにもかかわらず、医療費、介護費はどんどん増殖して行って、どう考えてもこのままの体制で今後のニーズに対応できるとは思えないし、本当に抜本的に医療・介護制度を見直し、老人ホームであっても、皆が安心して老後を送れる仕組みにすべきではないか?以前医療・社会福祉施設の運営に関わっていた時に、生きるだけで精いっぱいで親の面倒は見れないし、預けてしまえばあとは施設の責任という家族を多数見てきた。このような形が増えるのであれば、家族中心の制度はなり立たないように感じる。

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