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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

規制の意味と基本的な考え方を明確に!

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東京オリンピックの東京都の負担する費用の一部を、宝くじで賄うという話がある。だが、そもそも宝くじって、何なのだろう?

ちょうどIR導入の話があり、依存症が増えるとか、暴力団が介入するとか、あるいは青少年に悪影響を与えるとか、お決まりの批判が起きている。

だが、ギャンブルは人類という生き物の社会に必至のものであり、色々な弊害はあるにしても、それはそのようなことをどううまく回避するかという問題でしかない。そもそもパチンコなどカジノゲームに近いものが大きな市場として存在し、加えて世界最大の中央競馬会などもある我が国で、ギャンブルを認める、認めないという議論をすること自体がナンセンスだ。

加えて、射幸性が高いから依存症になるというような議論があるが、そもそもカジノ自体においてプレーヤーの期待を高めるのが射幸性なのであって、ギャンブルを認める以上射幸性は当然のこと。これを否定すること自体が論理矛盾だ。

カジノゲームのペイアウト比率、つまり賭けた金額に対する払い戻しの比率は、90%前後である。もちろん機械によってもこれは上下するのだが、一方で例えば中央競馬は寺銭は25%,つまり単純に言えば払い戻し率は75%、宝くじに至っては50%だ。

そんなぼったくりのものがあるのに、一方で射幸性だとか、ギャンブルは好ましくないとか、おかしくないか?宝くじは自治宝くじが一般的だが、地方に還元されるから良いというが、理屈になっていないと感じる。

ちょうどコンビニで、風俗雑誌の取り扱いについて議論になっていて、現状は表現の自由などが関わるために規制できないというような状況らしい。私も、以前PTAにかかわっていた時、同じような議論で前に進まなかった記憶がある。

だが、確かに表現の自由などは、基本的人権の中でも最も重要な権利の一つだとは理解しているが、だが、世界中であんな書籍が平気で子供の目に触れる国などどこにもない、つまり我が国は異常な国だという認識がまず必要ではないか?

表現の自由だって、社会に好ましくないものまで対象にすべきものではない。もちろんその判断自体が恣意的になる恐れは否定できないが、だからと言って放置してよいのか?吉原のソープ街のど真ん中に派出所があって、パチンコ同様不思議な理屈で必要な規制がされないことに鑑みると、そろそろ本音と建て前というか、我が国のきちんとした基準のない意味不明の論理による規制は、そろそろやめるべきではないだろうか?

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