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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

自ら変える、変わることの大事さ

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まあ、これは自戒を込めてのことなのだが、どうも我が国はなかなか自ら変わろうとしない、つまり黒船が必要だということ。随分昔の話だが、2000年頃に中国の友人に「日本はまだ社会主義をやっているの?中国はもう資本主義だよ、もっとも金権主義みたいだけど」と言われたのを思い出す。因みに今の我が国は、その格差の存在からも社会主義とは言えないと思うが、一方で資本主義を支える理念も、根本となるルールつまり法に基づいた社会の仕組みもない。

今、私も仕事の一環で推進している考え方に「公益資本主義」がある。要は、会社は社会の公器で、社会に対して永続的に貢献するため、技術開発など新たな投資を継続し、長期的な観点から経営を進めるべきであり、また会社を構成する従業員、顧客、取引先などと、資金を提供した株主は会社の創り出す付加価値について平等に配分を受けるべきで、短期的な株の売り買いを前提にした、株主の利益だけを偏重したウォールストリート型の資本主義は間違いであるというものだ。昨今は、この考え方に対する認知が結構高まっているようだ。

この考え方のもと、短期的な視野を助長し、一方で多大な負担となっている四半期決算の業績予想欄を不要にしたのだが、何故か大部分の上場企業は引き続き先般の四半期決算において、半期、通期で業績予想を掲載していた。企業として、事業のPDCAのためにある程度定期的に業績を確認することは必要だし、そのために様々な管理をしているのは事実だろうと思う。だが、これはあくまで内部の管理のため、外部に知らせる必要もないし、外部に知らせることで数字が独り歩きし、株価などに影響を与える必然性はない。

問題は、我が国の企業経営が戦後もずっと資本主義でありながら従業員を大事にし、研究開発を重視する、しかも品質や納期など顧客を重んじたものであったのが、日米構造協議などの影響を受け徐々に変容し、気がついてみれば株式市場を中心にした金融システム、能力と業績に基づく評価に伴う終身雇用・年功序列の終焉、JSOXなど米国流の内部統制の仕組みの義務付け、ROEを重視した経営になってきていることだ。結果として、この仕組みの中で市場に見放されないように、様々な不祥事が起きているのも事実だ。

つまり、日本の経営は、自らではなく米国の影響と巧妙な働きかけによって、米国型に変わってきたと言わざるを得ない。ただ、一つ重要なのは、我が国は残念ながら国民の権利に関することは全て法律が決めるという意味での法治国家ではなく、法律の運用は官僚が行うという仕組みであり、米国と同じ形でルールが機能するわけではないということだ。

もっと大事なのは、既にB Corporationなど、ここまでの株主至上資本主義に対する反省が英米でも起きており、更に言えば米国の機関投資家などはすでにROEを重要な指標とは考えておらず、またエンロンやワールドコムで一挙に広がったSOXも今や昔の話になっているのだ。つまり欧米は、時代の変遷、現実の制度の不具合などを見ながら、時々刻々と制度を変えてきているのに、我が国はそれに遅れて英米の制度を導入し、導入が終わったころには既にその制度は無意味なものになっているのに、自分で変えることが出来ないので、その無意味な、場合によっては有害な制度に固執し続ける、ということが起きているのだ。

今の日本社会、そして密な関係のある諸外国の在り方、などを念頭に、どのような制度と仕組みを提示すべきか、自分で考えて推進することは出来ないか?今や、世界中が次の世紀を生きる理念や根本的な仕組みに飢えているときだ。だが、一方で本当の解はひょっとすると過去にあるかもしれない。だからこそ、今一度日本の過去の様々な工夫を見直してみて、活用できるところは活用して新たな流れを作れば良い。公益資本主義もその一つになるだろう。

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