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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

高齢化社会をどう設計するか?

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北朝鮮に関しては、どうも米国・ロシアの軍の動きもあって、国連の流れも含めて珍しく世界が共同歩調を取りつつあるように見える。だが、このような一国だけが、国際秩序を極端に乱す行為に出た場合、国際社会はどう対応すれば良いのだろうか?

様々な思惑が渦巻く国際社会において、残念ながら世界の動きが統一性を持つことは考えられないし、国連をはじめとした国際組織の現実的な機能にも自ずから限界がある。第二次大戦を踏まえて作られた故の、一部の国家に独占されている優先的な地位は、その後の世界経済・社会の変化の中で偏向的なものになりつつあるが、一旦取得した既得権が簡単に手放されるとも思えない。

また、各国の代議制民主主義の在り方すら、機能不全を起こしつつある中で、国連において多数決などで国際紛争の全てを解決することが不可能なのは自明の理だし、仮に何かの決議が行われたとして、現実に実行されている経済封鎖などがどの程度の効果を持つのかも微妙だ。

ところで、このところ高齢者の自動車運転による事故がよく報道されている。アクセルとブレーキを踏み間違えた、というのが圧倒的に多いのだろうと思うが、益々高齢化が進む中で、どうすればこのような事故を減らせるか、そろそろ真剣に考えるべき時が来ているのではないか?

免許の返戻などと言われているし、そもそも自動車運転免許については、私は25歳から70歳くらいに限るとしても良いと思ってはいるが、一方で地方に行けば、公共交通手段が縮小する中、車がないと生活できないことも多いと思う。

とすれば、単に運転を制限するだけではなく、一方で地方を含めて公共交通手段の在り方を見直すことも必要かもしれないし、またそれこそAIではないが、更なる技術開発で事故の発生を減らすとか、様々な工夫が求められると考える。

以上は、偶々車の問題を取り上げているが、それこそ陸橋や駅のエレベーターなど、高齢化社会に対応したそれぞれの試みは行われている。一方で、高齢者がただ動けず、寝たきりになり、高額の医療費をかけるということでない社会の仕組みをどう作るのか、もっと高齢者の生活の全体を俯瞰した設計を真剣に考えるべきではないか?このところ、個々の事象に反応した弥縫策的な政策が目立つので、改めてそのように思うのだが、如何だろうか?

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