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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

村の論理の積み重ねの限界

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今週はドタバタしているので簡潔に。

オリンピックの会場変更などでもめているようだ。もちろんここまでの議論はそれなりになされて適切な場所を選んだのだろうし、今議論されているところが本当に目的を達成する上で相応しいかどうかは分からない。だが、そもそも私は東京五輪の反対者だが、東京五輪の目的自体が、どうも経済浮揚効果ばかりが注目され、それがベースとなってこれまでの議論がされてきたこと自体が間違っていたのではないか?

振り返ってみれば、欧州のG7で各国に財政出動を要請した姿と言い、我が国は戦後の政府が主導で経済発展を遂げるという形から脱却できていないように感じる。だから五輪も経済効果、ベンチャーや新たな産業への投資も政府のファンド、そして経済危機には財政出動となる。だが、この必要以上に政府に依存したパターナリズムが、新たな産業の発展を阻害し、産業界に甘えを生みだし、自己規律を失わせている原因かもしれない。

株主や、株主におもねる経営者が評価され過ぎるウォールストリート型の企業経営が、社会に貢献するものと言えないのは間違いないが、一方で政策に依存し、自らの責任を認識せず、不祥事ばかりを起こしている我が国の企業群が、確かに従業員を大事にしているかもしれないが、本当に胸を張って社会に貢献できていると言えるのか?そして、パターナリズムを錦の御旗にして、説明責任を果たさないまま、経済のためという旗印のもと進められている様々な行政の事業は、本当に社会のためになっているのか?

相変わらず、それぞれの組織の中だけの村の論理で物事が進められるものの集積体である我が国の社会は、本当に主権者たる国民のために成り立っていると言えるのか?政治家は自らの立場を守る政治村の論理、マスコミはその登場人物だけが豊かになり、社会の関心を踏まえた論議を進められないマスコミ村の論理、企業はそれぞれの企業が置かれた環境で物言う株主の要請に答えるために守るべき倫理を忘れたそれぞれの企業の村の論理、そして国民は自分たちを弱者と表し、政治家や行政や大企業のせいで苦しいという弱者の論理、誰一人として社会の構成員としての責任を意識していない、こんな社会が長続きするとは思えない。

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