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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

成熟した社会とは?

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相模原の障碍者殺害事件が大きく取り上げられ続けている。我が国において、このように短時間に一人の加害者によって多くの人が殺められたと思われる事件が起こるのは稀であり、その衝撃は極めて大きい。様々な報道がされており、事実関係はまだはっきりしないが、薬物中毒という点は、規制の強化である程度対応可能としても、どうも「ヒトラーが降りてきた」という段になると、選民思想にもつながるもので、快楽を求める猟奇殺人とも異なり、ある意味社会変革を狙ったオームの事件のような様相まで呈していて、難しい。

ただ、ここからは推測だが、意思疎通も十分に出来ない、人の介助が必要な障碍者の方々について、健常者と比較して哀れと思ったか、或いはそのある意味時に理不尽な要求に対して辟易として唾棄する気持ちになったか、ともかくも排除しようという行動に出たのではと見える。ただ、これを突き詰めれば、認知の高齢者なども対象になりうるのであり、人類という生き物をどう考えるかというある意味人間社会の根源的な問題にも関わってくる。

昨日、偶々留学生の就職イベントに参加したが、それこそ極めて多数の国から、日本に来て勉強し、日本で働きたいと思う人たちの話を聞いた。それぞれ持っている特技も違うし、日本語のレベルも様々で、それでも何とか人の役に立ちたいという思いは持っているように思えた。障碍者も、高齢者も、もちろん健常者とは違う部分があるが、ある意味普通の若い日本人とは異なるという意味では、彼らと同じであり、何故相模原の容疑者がそのように考えられなかったのか、残念に思う。

人類社会が、これからも存在し続け、成長・発展していくためには、人間としての共通点を持ちそれを認識しつつも、一方で性別、体格、国籍、障害の有無、年齢、体力などによる違いを、所与のものとして認め合うことが不可欠であり、そのような異なる人々が違いを乗り越えて助け合うことが、成熟した社会の第一歩だと考える。まだ、世界に残っている部分はあるが、人種座別、性差別、障碍者差別、性同一障害差別などを乗り越えて人類は進化してきた。残念ながら宗教上の差別など、まだまだ残されている分野はあるが、更にこれが進むことを期待したい。

そして、ポピュリズムに乗せられて、対処療法的な政策を主要な候補者が掲げる都知事選が明日の投票日を迎えるが、折しもリオデジャネイロオリンピックの開幕が近づく今こそ、クーベルタン男爵がオリンピックを提唱した意味を今一度胸に刻み、世界・人類的な価値観を、日本の首都から発信できるような都政が一歩ずつでも実現していくことを期待する

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