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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

権利は無尽蔵なのか?

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コンビニの成人向け雑誌の表紙にカバーをするという取り組みについて、雑誌協会などが「成人に対する図書選択の自由を阻害する」、「公権力が介入した事実上の規制だ」と、表現の自由を持ち出して反発しているらしい。

この件は、私が以前横浜市で取り組もうとしたことがあり、チェーンストア協会に何か方法はないかと相談したこともある。趣旨は、もちろん単なる成人向け雑誌であれば、当時でもコーナーは限定されていたので、それなりの工夫はされていたが、一方で雑誌の中には「Aちゃん、20歳、スリーサイズ、45分5千円」などという記載があり、これが小中学生の目の触れるところにあることが如何なものかと思ったのが発端だった。つまり単なる被写体としてではなく、何らかの商取引などを想像させる情報が記載されている点だ。

その時も、コンビニの営業の自由や、表現の自由、更にコンビニ自体がフランチャイズだと業者が直接持ち込むのでコントロールが難しい、また出版業者自体がしょっちゅう社名変更などをするのでしっぽがつかめない、などの困難から対応はしてもらえず、その後ページが開けないようにシールを貼る形が浸透した経緯がある。

私が良く分からないのは、もちろん表現の自由は大事だが、どこでも成人雑誌が見れる必要はなく、それこそ専門店のようなところもあるし、そこで見れれば表現の自由は確保されているのではないかという点だ。もっと言えば、我が国ほどこの手の情報が大っぴらにどこにでも溢れている国などないわけで、そのこと自体を我が国国民は恥じるべきだと感じている

子供も乗る地下鉄のつり広告に「誰々ヘアヌード」と書いた雑誌の広告が平気で出ているのを見るとさすがに異様とは思わないのだろうか?この間も、生活保護費でパチンコをするのはどうかとの議論があった。もちろん生活保護費をどう使おうと勝手と言ってしまえばその通りだが、そもそも生活に困っているから拠出しているわけで、まずは生きることに使っていただきたいというのは行政のみならず我々の思いではないか?

海外でも、例えばギャンブル依存症の方に更なるのめり込みをどう回避していただくかというのが大きな課題であって、結局強制的な対応は難しいので、自己申告なのだが、ただこれを家族からの申告なども認めて結果として依存症の方がカジノなどに立ち入らないように工夫している。このことは、国会での審議を待っているIR法案でも一つの重要なポイントとなっているのだ。

ともかく、何でもどこでも権利の名のもとに認められるものではなく、最低限の制限は社会にとって必要であって、それが国家の恣意に亘らないような注意は不可欠だが、単純に制限されたらそれは権利の侵害だというのは、権利というものをはき違えた考え方だと思うのだ。成人雑誌が平然とコンビニに置いてあるという出版の権利の行使は、その結果として子供をより清廉な環境でその精神的な成長に合わせて育てたい、という親とその子供たちの権利を阻害している可能性もあるのだから。

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