海外での日本文化
先週は久しぶりにロンドンに行っていた。思いの外暖かい気候に驚きつつ、相変わらずの食事の味覚を味わっていた。
ただ、街中で驚いたのが、中心街には驚くほどの数の、寿司のテイクアウトの店があること。しかも、どうも「わさび」という店と「itsu」という店が、二つの有力ブランドのようだが、ファッショナブルな明るいそしてそれなりの規模の店をそこら中に出していた。これまでも、カップ麺とか海外のスーパーや食卓に登場する日本食はあったと思うが、店としてこれだけ日本のものが溢れるというのはちょっと驚きだ。
これを文化と呼んでよいかどうかは分からないが、私が子供のころ、一方でテレビで「パパな何でも知っている」、「名犬ラッシー」などの米国のドラマを見つつ、食卓にクノールのスープが登場した時代から、マクドナルド、KFC、シェーキーズのピザの店が出来た時代を彷彿とさせる。もちろんこれは単に米国文化が自然に日本に浸透したというより、日米の関係が大きな影響を与えたのだろうと推察するが、それすらない英国で、これだけ日本の食事が浸透するのはすごいことだ。
もっとも、実際に売られているのは、カリフォルニアロールのようなご飯が表に出ている巻物と、サーモンの握りのセットが圧倒的で、前者はどう見ても巻物に見えず、後者はそもそも昔はサーモンなど生では食えなかったので寿司ネタとして存在しない時代を経験した私にはとても試すことができない素材なので、結局購入して味を確かめることは出来なかったが。
このように、素晴らしい日本文化が多少姿を変えて海外に出ていくことは評価すべきだが、一方でガラパゴス状態であるからか、或いは何か文化的な遠因があるのか、必ずしも好ましくない我が国の特徴も指摘しておきたい。
学校での組体操について、文部科学省が何等かの規制をするという報道が流れている件だ。もちろん何度も事件の報道がされているように、危険な部分があるのは事実だろう。だが、事の本質は、学校がやると決めたら、どの生徒も拒否は出来ないし、やらざるを得なくなるという文化ではないか?逆に言えば、学校が提案しても、生徒やPTAがダメと言えば止めればよいし、或いは個々の生徒で嫌な者がいれば参加しなければ良い。
つまり、このようなことをそもそも行政が規制すること自体がナンセンスだと感じるのだ。危険な行為をさせたとすれば、学校の責任であり、これを拒否するのは個人の自由であって、そのような責任と選択の上に学校社会も成り立っているのであって、これを事細かに行政が規則で縛るということを求められるとすれば、何でも行政が関わる必要が出てきて、益々創造性が削がれることになるのではないか?
このような傾向は「ゆとり教育」という言葉がはやった時代から、より強くなってきている気がする。例えば、生徒は全員クラブ活動をする必要があるという規則。ゆとりのためには、趣味を持つ必要があるので、このためにクラブ活動をさせる、そしてそれは全員が平等でないと塾などに行く人間が出てくる、という発想なのだろうが、これもナンセンス。
クラブに行こうが、塾通いをしようが、それは個人の自由であって、ただ、その結果どのような人間に育つかもまた個人の責任である、そのような認識と理解があまりに不足している。そして、何か不都合が起こると全て政治家、行政、大企業の責任で、自分たちは被害者で何の責任もない、そんな日本人を作ってきたのは我々自身だ。そろそろこれを見直して、責任の上に自由があり、自由の結果は自分の選択による責任に基づくという当たり前のことに気づこう!