もっと大事なことがあるのでは?
佐賀県の消防士が、不動産の賃貸収入などで年間7千万の収入を上げていたということで、公務員の兼業禁止規定違反で懲戒処分になったとのニュースがあった。もちろん公務員は国民や地方の住民のために働くものであって、その地位もかなりの程度保護されており、野放図に様々な職業に従事されては困る。だが、偶々不動産を保有していて、そこから賃料収入があることがいけないとなると、困る人もいるのではないか?
資産を保有することは、そもそも私有権という国民すべてに認められることであり、杓子定規な適用が適切なのか、或いは公務員法の規定をより現実的なものに修正すべきなのではないか、など疑問が残る。それに、そもそも三か月の減俸という措置がどれだけの意味があるのだろうか?より突っ込んだ報道が求められる。
一方で、集団的自衛権容認に関する閣議決定について、内閣法制局は意見なしとの決裁文書しか保管していないということも報道された。これについて、若干のコメントは出ているが、一時は憲法論議で様々な意見が戦わされたが、今や静かなものだ。
しかし、仮に昨年の安保法制に関する国会決議を認めるとしても、その前提となった閣議決定は、それまでの政府の立場を大きく転換するものであり、そのことに関する政府における専門的な検討の過程は、法治国家である以上残す必要があるのは当然のことだ。これがされていないということ自体、安倍政権が日本国民の付託による日本国憲法が許容しない独裁政権であることの明確な根拠となりうるのではないだろうか?
甘利大臣が、報道された金員の授受について、説明するのが少し先になるということから、野党が甘利大臣の演説の際に退席したそうだ。政治と金の問題は重要なことであり、これについてはきちんと説明するとともに、問題があればそれなりの決断をすべきだと思う。
だが、本人は説明すると言っているのであり、それが多少遅れるからということで、退席するというのはあまりに子供じみている。甘利氏については、いろいろな見方があるとは思うが、例えばTPPにしても、事の正否は別にして、極めて複雑な各国の思惑の中で交渉をまとめ上げたわけであって、そのような努力には敬意を表すべきであり、少なくともTPPの調印まではお任せするなどの対応も考えられるだろう。
中国が、中東諸国に6兆円を超える融資を公約した。インドネシアでは、地元政府の金を使わない新幹線の起工式が行われたようだ。金で歓心を買う中国の手法が、当面の間一部の国において評価されることになると思われる。
だが、では我が国は何が出来るか、今こそ真剣に考えるべき時だと思う。もちろん経済発展に資金は必要だ。だが、海外の金で縛られ、せっかくのインフラなどが海外の国家や協力企業などだけに利益をもたらすというのが、これまでの欧米を中心とした国際社会の在り方であり、これを中国は追随するのだろう。
我が国は、途上国において自らの産業が発展し、それが経済成長を通じて雇用につながり、国民全員が中間層になっていくという、それぞれの国や地域、国民の自立につながるような支援を行っていきたい。自国の基盤を自ら作り、個別の国の動向に影響を受けず、幅広く世界の各国と交流し、安定的に成長を続けながら世界に貢献する、そんな国づくりに少しでもお手伝いができればと思う。
そして、多くの途上国が、自立して経済的にも発展することで、怨嗟の輪を絶ち、同時に宗教や民族を超えた自国の文化を大事にしつつ、他者の文化を尊重する世界社会を作っていくことに、我が国が主体的に貢献できればと思う。米国追随の、軍事的な背景を基盤に据えた国家運営は、必ずしも上記の考え方と合致するものではないと考える。