オルタナティブ・ブログ > マイク丹治の「グローバル・アイ」 >

 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

一人一人が相手の気持ちを考える社会に!

»

新年明けましておめでとうございます。

早速ながら、今年の第一回は、昨年末に日韓政府が合意した慰安婦問題について。政府の関与があったのか、という事実関係もさることながら、何故か他国まで巻き込み強硬に政治問題化する韓国の対応や、韓国自身の過去の同種の行為などへの批判もあって、日本国内でも相変わらず様々な意見が述べられている。

一方で、韓国側においても、このような合意に対する一部の方々の反発は激しく、合意を撤回すべきとの議論も出ているやに聞く。だが、私は、慰安婦の方々がいらした、という前提に立っても、これをそろそろ収束させようという両国政府の試みは、評価されるべきだと思う。

戦争による被害を受けられた方々に対して、当事者である国家が心からの謝罪をすべきことは戦勝国・戦敗国に関わらず当然のことである一方で、戦争賠償が政府間で終了しているというのも事実であり、このあたりを踏まえた現実的な合意だったと評価する。

個々の人間の憎しみは簡単には消えないと思うが、それは認めつつも、世界平和へ向けて、或いは相互のより前向きで建設的な関係の構築へ向けて、国家としてどう対応するかというのは、個々人の感情とは別の問題であろう。もちろん個々人の感情に配意する必要はあると思われるが。

したがって、個々人が様々な考え方を持ち、政府間合意に意見を言うこと自体を否定するつもりはないが、それこそ両国政府がそれぞれの国民の気持ち、マスコミの対応、様々な政治勢力の声などを念頭に置きつつ、現実的且つ相応の合理的な合意をしたということは評価すべきであるし、これを不必要に揶揄し、或いは否定する双方の国における言動は、幼稚で時代遅れだと感じる。

昨今一番気になるのは、もともと謙虚な精神を持っていると言われてきた我が国や韓国の国民が、急速に利己主義というか自分の権利だけを主張するようになってきていることだ。儒教の精神というが、要は相手の気持ちになって考えること。自分の主張だけを振りかざし、相手を罵ることは、人類社会の進歩にはつながらない。

昨年12月にウェブニュースにあった東北大学病院の救急診療を本格化するに至ったストーリーを、私は感動的に見た。詳細は忘れたが、要は病院前で起こった交通事故の被害者の治療に対応できる体制がなく、結果としてその被害者が遠い病院に搬送されたために死亡した。そのことを踏まえて救急医療の本格化への努力が始まった、というものだ。

人類の社会では、様々なことが起こる。その時に、その起こった事象の当事者の気持ち、その周りの人の気持ち、その地域にいる人たちの気持ちにどう思いを馳せて、一つでも自分たちの出来ることはないか考える、そのようなことからしか、これからの人類社会の進歩につながることが出てこないのではないか?

イスラム国が、人類の敵のように随所で批判されているが、所業はもちろん肯定できないものの、その淵源はイスラム教でもテロリズムでもなく、我々が世界不変の原理として信じてきたこれまでの資本主義、自由主義、民主主義から発生した格差や、その中の敗者の絶望感だとすれば、益々増加するそれら人々の気持ちを考えない限りイスラム国は拡大し続ける。

Comment(0)