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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

世の中を良くするもの!

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産経新聞のソウル支局長の裁判で無罪判決が出た。その経緯は、裁判長自身が判決の冒頭で触れたように、多分に日韓関係に配意した政治的なものであろうと推察されるし、そもそも言論の自由の重要性に鑑みれば、その一部を担うマスコミに対する刑事事件の立件自体慎重であるべきというのは当然だと思うが、判決の後被告人自身が「自分を狙い撃ちにした」とか指摘し、或いは新聞社長が、誹謗中傷する意図がないというところまでは良いとして、「国家元首の行動をめぐる報道は公益にかなう」などと敢えて強弁し、記事の正当性を主張するのは、如何なものか?

韓国の社会体制が、最近とみに民主性を失いつつあるとは私自身感じるところだが、仮にも判決では言論の自由を中心に据えて無罪の結論を出したのであり、まずはその点に敬意を払うべきではないだろうか?その上で、一般論として韓国の現状を憂う或いはそれに対する批判的だが論理的な主張を行うのは、もちろんマスコミとしても是非取り組むべきところだと考えるが、個別の訴訟に対する被告人側の反応としては、あまりに子供じみていると感じた。

靖国神社の件でも、報復かと推察されるような行為が韓国領事館に対して行われたようだが、何故もう少し冷静な行動を取れないのだろうか?韓国の司法を交えた言論への挑戦についても、論理性をもった対応ができず、一方で明らかに言論統制が進もうとしている我が国においては、政府に対して一言も言えない、そんなマスコミがそもそも言論の自由などという資格があるのか、とさえ感じてしまう。

つい先日、知人からルーマニア出身の大変有能な方をご紹介いただいたが、その方の話に興味深いところがあった。その方のお母さまはルーマニアにずっと住んでおられ、今回のシリア難民の件で、息子が住んでいる日本の首相が「6名」受け入れると発表したことに対して、かなり憤りを感じられ、自分の家で60名受け入れると主張され、それが周囲に広がって3千人の受け入れが民間レベルでその地域で進んだらしい。

ルーマニアが、ある意味でシリアから欧州への途上にあること、日本はそもそも単一国家で海外からの人の受け入れについて社会的抵抗が強いことなど、様々な違いを指摘することは出来るし、現実に受け入れるとした場合の難しさは想像を絶するが、やはり難民は今世紀を代表する紛争の被害者であり、同じ人類としてこれにどう関わるかということが、国民、国家としての世界観とも、更には人類社会への貢献にも、深く関わるものだと考える。

ルーマニア出身の、我が国で大学で学んだINNAという女性が、母国に帰って歌手として活躍し、欧州では徐々にその社会的なメッセージが伝わり始めているという。彼女の歌は、多くが社会的な意味を持ち、その一つに「どうぞ移民に来てください」というものもあるとのことだ。なかなか美人の歌手だし、何となくエキゾチックな独特の言葉や音楽なので、是非時間があればウェブで検索してみてほしい。

宗教、政治、そして核や軍備の抑止力、国連の活動などだけが世界平和への道筋ではない。こうした一人一人の活動、それが時間をかけて周囲に広がり、対立国家・民族間の相互の理解につながっていく、これが本当の意味での国際理解であり、そのような共通の理解、つまり人は国や宗教、民族によって切り裂かれているのではなく、つながっているのだという理解が広がれば、紛争はなくなっていく。

そのような理解を、まだ既存の差別意識に凝り固まっていない子供の時代から、宗教・民族・国家を超えて短期間でも一緒に生活を共にすることで、醸成できないか?そんなこと考える昨今の私である。

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