オルタナティブ・ブログ > マイク丹治の「グローバル・アイ」 >

 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

何だか変だぞ、この国は!

»

ブログサイトの変更で、本来のタイミングより数日遅れたが、とりあえず先週末分を掲載する。

ちょうど、教科書問題がマスコミを賑わしているので、一言。教育とは、基礎知識を身につけさせるとともに、これを踏まえて考える力を養うもの。もちろん政府としての見解があるのは分かるし、私自身竹島とか尖閣について、韓国や中国が正しいということを裏付ける根拠を持っているわけではないが、仮にも一応議論があるとすれば、例えば「わが国の政府見解としてはわが国の領土だが、これとは異なる主張をする動きもある」とか、記載すれば良いことではないか?

事の内容によって、記載の仕方は変わるとは思うが、少なくとも政府見解が事実であるかのような記載をすべきではないし、これでは教科書検定は戦前の検閲と同じではないか?検閲は、憲法で禁じられているはずだ。

そもそも、国土の問題を含めて、一部の国において教科書や学校教育で国民の意識を意図的に統一するようなことを継続しているところがあるのは事実であり、とても悲しいことだと思う。だが、だからといって、これに対抗して同じことをやろうとするというのは、あまりに子供じみており、とても成熟した国家のすることとは思えない。

逆に、秘密情報保護と言い、本件と言い、どうも戦前の治安警察法、治安維持法の時代のような、国家独善主義に陥りつつあるのではないか、との懸念を感じるのは私だけだろうか?憲法解釈が政府見解で変えられるなどという、立憲主義に対する理解の全くないもまたこのような流れに裏付けられているように思う。

先般とある勉強会で税制の改正について議論があった際、税法が不分明な部分については、通達やQ&Aで対応するという説明があった。だが、わが国は法治国家のはずであり、国民に納税義務を課す税法の、何が課税対象かなどの重要な部分は、法律によって定められるべきであり、相変わらずのお上意識を感じた次第だ。

結局、自ら血を流して獲得したものではない民主主義は、社会に根付かないものなのか、現政権の進む方向に背筋が凍る思いを感じるのは、私だけなのだろうか?

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する