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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

「おもてなし」って何?

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最近2020年のオリンピックに便乗してか、「おもてなし」という言葉がしきりに使われている。確かに、例えば日本の一流旅館のおもてなしは素晴らしいし、少し意味は違うが、日本製品の品質とか、野菜果物の素晴らしさなど、世界に誇れるものは沢山あると思う。

そして、かなり世界比較での優位性は減じたとは言え、日本国民の教育レベルは高く、国家としての安全性も高い。だが、では実際に日本人全員の「おもてなし」度は高いのか?は大きな疑問だ。

一部の頑張っている人たちの素晴らしい成果が、自分たちの資質だなどと誤解しているのではないか?歩道上で歩行者を全く気遣うことなく疾走する自転車、大きなリュックを背中に下げて電車の中であちこちで人にぶつかりながら一言もない人々、これで本当に「おもてなし」の心があると言えるか?

老人が疲れた表情で吊革につかまっているのに、席を譲ろうともしない若年・中年層、狭い道で二人三人並んでスマホを見ながら、周りに全く気配りすることなくだらだら歩く若い女性(これは圧倒的に女性が多い)、旅行用のスーツケースを引きずりながら幅を取って歩く人々、電車の中や公衆の面前で驚くほど大きな声で雑談する若者達、本当に自分たちはまともな人間だと思っているのだろうか?

「おもてなし」は、お客様に接する際の、心の持ち方だ。そして、それはマニュアルでも、その仕事に際してだけの注意からでもなく、それぞれの人々の常日頃の他人に対する思いやりのこころから派生するものだと思う。だから、一流旅館の「おもてなし」が優れていても、日本人一般がこの体たらくでは、海外から来る人たちは感動してはくれない。今一度自分たちの生きざまを見直してみるべきではないか?

折も折、靖国神社の秋の例大祭とやらに多くの国会議員が参拝したようだ。靖国に個人的に参拝するのは自由だが、何故国会議員になると参拝するのか?彼らは、議員になる以前から参拝していたのか?確かに、国のために命を落とした人たちを慰霊するという靖国の存立理由には一定の意義はあると思うが、何故周辺国と様々な課題がある中で、あえて集団で行わなくても良いことで目立とうとするのか?

もちろん中国の尖閣に対する対応は許せないし、韓国の中国という元宗主国に対する歩み寄りによって自国の地位を確保しようとする動きはあまり賢くはないと思うが、それにしてもあえてこのようなことを集団で行う意味が不明だ。マスコミのオリンピックを勝ち取ったという報道も含めて、相変わらず子供のままの日本だという印象が強い。

そろそろ大人になって、国家としても「おもてなし」の心で相手の立場も考えながら、まだ成長途上の周辺国をたしなめるくらいの落ち着きが欲しい。

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