成人式ー無敵の時代!
ちょうど成人式が終わったところだが、お題についてちょっと一言。
自分が成人を迎えた時代を思い起こすと、正確な時期は別にして、ちょうど鉄道が大規模なゼネストをやって、学校が長期にわたって休みになり、その間狭いアパートの我が家で、友人とマージャン合宿をやっていたような記憶がある。また、駒場の試験の日に大雪が降り、当時住んでいた吉祥寺から駒場までえらい時間がかかったのを覚えている。
我々の時代は、そもそも成人式なるお仕着せの式典は、出るのは軟弱な体制派だという風潮があり、あまり出席率は高くなかったはずだ。私も、そんな流れに乗って出なかったと記憶している。これは多分我々の世代より少し先輩の、学生運動世代の流れをくんでいるのだろうと思う。その意味で、今成人式が盛況で、しかも相当多くの成人が和服姿なのにはちょっと驚かされる。
当時、私は大学生だが既に結婚していた。そしてご多分にもれず、あまり学校へは行かず、友人たちとパチンコ・マージャンの生活。一方で、それぞれの両親から支援を受けてはいたものの、遊ぶ金も必要で家庭教師を掛け持ちでやっていた。
時代感覚が分かりにくいかもしれないが、あえて参考までに説明すると、ちょうど昭和50年前後であり、我が家(実家も含めて)には、まだカラーテレビはなかったし、私自身は車も持っていなかった。電話は映画で出てくるような旧式のダイヤルを回す形式で、携帯などはその原型すら存在しない時代。だから街中に公衆電話があり、十円を大量に持っていないと長時間通話は出来ない、という状態だった。もちろんパソコンどころかワープロも影も形もない。
新幹線も東海道だけ、国際空港は羽田と伊丹だけ、という状態だったと記憶している。オイルショック、国際通貨制度の大幅な変動などはあったものの、まだまだ日本が元気な時代で、その中で大学生活を送る自分には、あらゆる可能性があると感じられる、そんな時期だった。そして、今でも感じるが、おそらく当時つまり18歳から20歳くらいの時代が、わが人生で自分が一番優秀だった時だと思う。
もちろんその後様々な経験を経て、違う意味での知恵などは獲得していると思うが、頭脳の明晰さ、知識量の幅広さと、知識吸収力の容量では当時を超えることは出来ないだろう。その時代に、結果としてそれを十分活用しなかったことには、若干の反省もある。もちろん現実的にそんな学生時代を送ることなどありえなかったろうと思うが、でも月並みだがもっと勉強すれば良かったと思うこともある。
我々の世代は、学生運動世代でもないので、あまり偉そうなことは言えないが、一つ感じることは、まだ学生に体制に対する疑問と反骨精神が残っていた時代だったことだ。社会秩序はもちろん重要だし、決まりに従うことも重要だが、純粋な目でおかしなことに反論を提示することは、次の世代を担う若者の重要な役割だと思う。その意味で、昨今はより一層若い世代が体制追従のように見えるのはちょっと気になる。ある意味で安田講堂事件で日本の知性は崩壊したと言わざるを得ないのは、このことを示している。
もちろん、なにも学生運動のように暴力をふるえということではない。ただ、今はまさにこれまでの仕組みや体制がどれもこれも全く機能しなくなっている時代だからこそ、これからの時代を築いていく若い世代の新しい考え方や行動が求められているように思う。
それにつけても、逆に我々ちょっと年を取った者たちも考えるべきことは、改めて自分の来し方を見直すことだろう。やはり学生運動世代の映画で「若者たち」というのがある。カラオケでは多分この主題歌「君のゆく道は・・・」は、たまに歌われるのではないだろうか?この映画は何故かビデオ化されず、俳優座に行って借りないと見れないようだが(少なくとも以前はそうだった)、これを何とか工夫して見てみて、あの頃若者(つまり今のオヤジたち)が、何に悩みどんなエネルギーを持っていたか?を今一度思い起こすことが大事なような気がする。
そうすれば、如何に今我々の社会が縮こまってしまっているか、如何に身勝手な行動ばかりをしているかがちょっとは感じられるはずだ。そして同時に、これを今の若い世代に見せることで、彼らにオヤジたちも同じだったことが伝わる。そこから新たな対話を始めることも大事なような気がする。
色々な点で不完全でわがままではあったが、でも無限の可能性を持っていたあの時代をまぶしく、懐かしく感じるのは私だけではないだろう。そして今時代や我々の社会の持っているポテンシャルは当時とは異なると思うが、やはり若い世代には無限の可能性があることは間違いない。