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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

ネット文化の危険性

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入試問題を試験中にウェブで流して答えを求めたという事件が発生した。あまり携帯の使い方が上手じゃない私としては、それをするだけでも結構大変で、よくそこまでと思うところもある。昔ある友人の話で、その知人が定期試験のために、手のひらに入るカンペを作ったら、結果としてこれをつくるために集中したおかげで、すべて記憶していて試験中は不要だった、というのを聞いたことがある。

ネットで、様々な情報が入手可能な今、現実に一定の事実についての知識を試すのであれば、ネットでの検索術とそこで入手した情報の編集術を競う、ということでも良いと思う。ただ、大学というところが知識だけを求めるところではないとすれば、やはり自らの独自性を表現できることを追求すべきだろう。翻って、入試問題の件について言えば、いずれにしても他人に依存するというスタンスはあまりほめられたものではない

それより、最近気になっていることがある。構想日本でフォーラムなどを行うとニコニコ動画に放映していただき、そこにツイッターでのコメントが視聴者から書きこまれる。これがまあ千差万別。議論に反応しているのもあれば、会場のきれいな女性に反応するものなど、様々だ。そのことより、気になるのはそこで交わされる言葉のきたなさと無責任さ

これは、携帯でニュースを見た際に付随してくる、一定のトップニュースに関する購読者からのコメントについても同じだ。「おまえは死んでしまえ」調の乱暴な言葉、加えて単なる感情からの発言で論拠なしの無責任さ、このような言葉が簡単にウェブを通じて伝わり、伝播していくことに不快感を覚える。

ネットは、情報が遮断された世界に、外の事実を伝えることで、北アフリカの民主化に貢献しようとしている。すべての情報が何でも公開されればよいということではないと思うが、情報が共有されることで、世界の人類が共通の意識を持つことは、相変わらず暴力によってしか紛争を解決できない人類にとって、これから大きな意義を持つと確信している。

しかし一方で、それらの情報は発する人間の品位が伝わるものであり、また受け取る側がその内容を必ずしもきちんと確認するすべを持たない以上は、表現においても内容においても一定の慎重さが必要であり、何より情報を発する人間に、そのような理解と責任感が求められる

海外との比較で、ツイッターの使用度がフェイスブックより高いというのが、わが国の特殊な閉塞性を示すものと思われるが、私はウェブ上の情報発信については、それが自殺クラブや薬物など犯罪に活用されるリスクがあることなども踏まえ、すべて発信者の署名入りでなされるべきだ考える。言論の自由は当然に発言の責任を伴うものだから

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