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ハーバードビジネススクールの日本スタッフとして働く中で、気づいたこと、感じたこと、考えたことを、ゆるゆるとつづります。

「HBSミーツ東北」第四日目:果樹園で「フクシマ」を超えて人と人としてつながる(2)

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みんな果樹園で雪まみれになった状態で、ご自宅の横に併設されている、お母さんがオーナーのUtsuwa galleryへ。

「うちは農家だから、毎日三食みんなで家で食べる。その食卓を少しでも美しく、楽しいものにしたい」と思ってうつわを集め始めたのがきっかけで、ギャラリーとなった。お母さんはそのまま家庭画報に出てそうなマダムだし、ギャラリーの部屋も和の美しさに満ちた空間で、「うちは農家」といわれても、なんだかみんなぴんとこなくて、ぽっかーん、としている様子ではある。

このギャラリーは原発事故以降、開店休業状態。次男の奥さまがあんかじゅの果物を使って焼くケーキが人気で、県外からのお客さまも多かったというカフェも、今は閉じられている。

ついこの間まで、ここには、家族がたくさんいて笑い声が満ちて、外からも人が集まり、最高におしゃれであったかい果樹園とカフェとギャラリーがあった。それが、たった一日で、見た目は全く同じなのに、何も壊れてないのに、もうそこにはない。さっきのオーガニックりんごじゃないけど、美しいがゆえに、哀しさが胸にせまる。


りんごハウスに戻ってきて、説明は、真理子さんへバトンタッチ。
「私たちにとっては、3.11ではなくて、3.12なんです。あの日からすべてが変わりました。」

真理子さんはもともと福島市でdipというフリーの情報誌の編集長をやっていた。いけてるお店、美味しいレストラン、などの情報を載せ、福島市の人たちが楽しい生活を送れるように、という思いを込めていた。「3.12」以降、悩みながらもしばらくは発刊していたが、「こんな状況の中で、楽しい生活を、なんてことをいうことはできない」と思うにいたり、休刊の決意をした。

事故後の政府や関連機関からの情報の混乱、後にわかった事実の隠蔽。それを知ったときは「裏切られたと思った」という。

でも一方で「今までは国というものがあって、そこが自分たちのためにやってくれる、というイメージを持っていた。でも3.12以降、『国』なんていう何か確固たるものはなくて結局一人ひとりの集合体でしかない、だからそれぞれが問題に向き合って生きていくしかない、と思うようになりました。

そうなんだろうな、と、頭で理解するのは簡単だ。でもこれを、何が真実なのかがわからず、これまでの生活の基盤もなくなり、不安と疑念が渦巻く日々の中で、リアルな経験として感じ、立ち上がってきた真理子さんの言葉は重い。部屋は静まり返る。

そして、真理子さんは少しずつ活動を始めた。地元の子供やママを対象に、りんごハウスでヨガや遊びのワークショップを運営するようになる。最初は国や何か外のものに対して批判をしていたり、問題から目をそむけたり、新しいことを始めるのが億劫だったママたちも、ワークショップの参加をきっかけに、だんだんと前向きに、自分の足で立つしかない、という心意気になってきたそうだ。参加の人数もどんどん増えてきている。


話は一段落。あんかじゅのお母さんと助っ人として駆けつけてくれた真理子さんのお母さんが、ランチを作ってくれていた。このところ、毎日心がこもった手作りの美味しいランチをいただいているなあ。本当にありがたいことです。

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(お母さんたちがつくってくれたランチ)

ランチの後は、いよいよ学生が主体の時間。4つのグループに分かれて、あんかじゅとりんごハウスに対してそれぞれ、今後の事業上の提案をブレストし、発表する。もう東北も4日目になりどこにいってもそうなので驚かなくなったけど、でもやはり真剣に議論をする学生の姿は、まぶしかった。


1時間後。

周りの果物農家とコラボした「庭坂」(あんかじゅのある地名)ブランドの立ち上げ、東京のレストラン・オンライン販売との協働、果物と器を合わせたギフトパッケージ、長期滞在・体験型ツアー企画、りんごハウスB&B化、地元の野球チームとのコラボ...

お父さんは、うんうん、とかいって、その後「ITをもっとうまく使いたいんだけど」「線量のデータをどこまで書くべきだと思う?」とか、すっかり打ち解けて学生とどんどん会話している。ある学生は後日、「あんかじゅのお父さんはこれまであった中でも最高にクールな人の一人で、人柄や性格で、物事は変えられるということを教えてもらった」と振り返っていた。


真理子さんは、最後にこういってくれた。

「HBSの学生さんたちが来るということで、自分たちには全然わからないような、すごい戦略の話とかするんだろうか、と思っていました。でもみなさんは私たちの視点で考えてくれて、提案はどれも実現できそうなもので、それが本当にうれしかった。

福島を『フクシマ』としてではなく、そこに生活している人を通じて、理解してもらえればと思っていた。今日はそれができたように思う。


雪がすごいのではやく帰らないと高速が閉鎖されるかもしれない、ということで、またもやばたばたと名残惜しみつつ、さよならをした。ガイドさんは正直間に合わないと思っていたそうだが、あんかじゅのパワーのおかげか、すんなりと仙台へ帰着。

あんかじゅのお父さん、お母さん、真理子さん、真理子さんのお母さん、そして当日も顔を出してくださった優さん、本当にありがとうございました!ボストンとあんかじゅは、心でつながってます。

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(このあと、雪合戦がはじまった)

★東北復興新聞の岐部さんが、この一日を超素敵なフォトエッセーにしてくださってます!★
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