「HBSミーツ東北」第三日目:陸前高田「長洞元気村」で元気をもらい、大船渡で高校生と交流する(2)
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半島の先っぽにある広田町長洞村は、津波が半島の付け根の両側からやってきたため、しばらく完全に孤立。約半数の家が津波ですべてを流された。孤立が長期化した場合に備え、村にある食べ物や水はすべて共同管理として、計算された量を各家庭に配給した。被害を受けなかった人たちは「ここで助けなくて、いつ助けるのですか」といって、自分たちが持っていた食料などを、こころよく差し出したという。ゲーム理論も真っ青の行動に、うなる学生たち。
また、震災からたった2週間とちょっと、まだ食べるものにもことかき、ライフラインの復旧もされてない時期に、子供が集まって元気になるとみんなが元気になる、と考えて寺子屋の「長洞元気学校」を開校したそうだ。その視座の高さとあたたかさに、またまたうなる。
村と離れた場所にぽこんと建てて抽選で入居者を決める、現行の仮設住宅の仕組みでは、長期的な復興のために不可欠なコミュニティの力をそいでしまう。そう考えた住民たちは自ら地権者と交渉して村の高台に仮設住宅の土地を確保、かつ、もともとの家の並びを保ったまま、仮設「集落」をつくった。
市や県は公平性の観点から他の被災地と異なるやり方は認められないといっていたが、マスコミの後押しなども取り付け、なんとか実現したのが、長洞元気村なのだ。なぜ市が公平性の観点から反対するのか、アメリカの学生にはわからなかったようで、「日本で言う公平性とは、機会ではなく結果の平等のことを指すことが多いから」という説明をしたら、ふーんと納得していた。
働き盛りの世代が安心して外で働けるよう、子供たちは村の高齢者が面倒を見る。なでしこ会が中心になって、商品開発をしたり、ガイドツアーの企画をしたり、村の魅力と経済力をどうあげることができるか、試行錯誤している。「企業の若い人たちが教えてくれたのよ」といって60を超えた方々が、長洞村の日々をブログにアップする...
話を聞くほどに、被災地に来た、というよりは、コミュニティって本当はこうあるべきだよね、という未来に迷い込んだ気分になってくる。ふと壁を見ると、「長洞未来会議」と書かれた模造紙がはってあって、「新しい長洞づくり」のための施策が書かれていた。
自分たちでまちをつくる。自分たちで未来を拓く。
説明が終わり矢継ぎ早の質問も一段落したころに、窓越しになでしこさんたちの姿が見えた。どうやらランチができたみたい!つみれのお味噌汁、サラダ、なます、さんまの一本焼き(というのかしら?)、ほたての炭火焼、おしるこ...これが本当のフルコースだよ、って感じのごはんがてんこもりで用意されていた。
給食のようにトレイの上にお皿を載せて、でも種類がありすぎて全くトレイにはおさまらなくて、バランスを必死で取りながら、会議室、さきほど見えたパオ、外のテーブルなどに場所をとり、一心不乱で食べ始める。殻付のほたてなんて生まれて初めて見たらしく、scallopだよ、と教えたら、目をまん丸にしていた。
そして午後は、ボランティア活動の時間。ボランティアというか、楽しい体験型のアクティビティをアレンジしてくださった、というほうが正しいのですが、20人は漁師のみなさまと一緒に、海に浮かばせるブイに屋号のようなサインを描く仕事(「Vサインプロジェクト」)、10人はなでしこのみなさまと色とりどりの団子をつくり、みずきという赤い枝に刺して、できたみずき団子を旧正月のお祝いとして村のみなさまに配る仕事へとわかれる。
通常は漁師ごとに屋号があって、それで「自分の縄張り」ということを互いに示すそうですが、長洞村の場合は、これも共同管理で村として一つの屋号なんだそうな。20名は海風に吹かれながら、球体のブイに、漢字と記号を組み合わせた漁師の屋号をペンキでぬっていく。荒々しい文字、かわいい文字、アートな文字...それぞれの個性が出ておもしろい。そして相変わらず学生はとても丁寧に仕事をしている。このまじめさ、本当に気持ちがよい。
一方のみずき団子チーム。なでしこさんたちの指導にそって学生たちが団子せっせと作り始めたけど、団子をさす赤い枝はどうするのかしら、と思っていたら、のこぎりをもった村のおじいちゃんが「ついておいで」。そして、山の中腹にはえている木を指差す。うわ、ワイルド、と一同衝撃を受けながら、背の高い男子学生が必死でがけっぷちのような場所で足を踏ん張って、木を切り倒した...
家庭に配る用の小さな枝と、村の会議室に飾る大きな枝を切り分け、できあがったピンク・白・緑の団子をさして、美しいみずき団子ができあがった。こういう一つ一つの手間があってこその、村でとれるものを使ってこその、お祝いなんだよなあ。生きるということの基本に気付かされた感じ。
<3へ続く>
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