"やおいの王道"として観る『ソーシャル・ネットワーク』
話題の映画である。
ウェブビジネスだとかプログラム開発側からの評は専門家にお任せするとして。
...するとして、
腐女子的視点で観るとこの映画、実に「王道のやおい」であった。
(以下ネタバレを含むので注意
人付き合い下手のマークにとって、数少ない友人エドゥアルドは
彼を外界へとつなぐ大切な存在である。
マークよりはスノッブなエドゥアルドはマークの性格を承知の上で彼のやることを理解し、投資し、協力する。
ふたりの「友情」はそれなりに固く結ばれているが、
マークが「Facebook」開発を進めるうち、お互いの間にわずかな溝ができる。
マークの目指す「Facebook」と
エドゥアルドの理解する「Facebook」との間に齟齬が生じ、
わずかな溝はだんだんと埋めがたい溝になってゆく。
自分こそがマークのパートナーだと思っているエドゥアルドにとって、
マークの目指す「Facebook」に、具体的なビジョンを示すショーンの存在は、
ふたりの間に割り込んだ泥棒猫のようなものだ。
西海岸のマークのオフィスにショーンが居候し
自身の存在を脅かしているのを目の当たりにした時のエドゥアルドの様子に、
「君のことを真に理解できるのは僕だけなのに!」
というエドゥのココロの声を腐女子アンテナが受信、脳内に響き渡る...。
(なんというテンプレート! 大切なものは失って初めて解るんだよ、
(だからちゃんと一緒にいないとダメっ、エドゥのバカ!
エドゥアルドはショーンを排除しようとマークに働きかけるが、
彼が「Facebook」にとって必要な人材であることが解っているマークはそこに私情を挟まない。
マークの気持ちが離れていっていることを感じとるエドゥアルドは、ある日言うのだ。
「マーク、窓に書いたアルゴリズム、覚えているか?」
蔦の絡まるチャペル...じゃない大学の寮、
冬の空気に結露する窓に、指で書いたアルゴリズム...。
それを覚えているか?と聞くエドゥアルド...。
ちょ〜っと待ってください? それはつまり
「マーク、あの頃の僕たちのことを思い出して」とか
「マーク、もうあの頃の僕たちには戻れないのかい?」ということ?
...エドゥアルドっ、切ないわ(涙)!
マークとエドゥアルドの間にはふたりにしか解らない絆があったんじゃね?
と思う腐女子としては、
このやり取りに萌えざるを得ませんでしたよ、もう!
なんですか? そのやりとりはっ!
そこにラブのないBL、やおいの王道じゃないですかっ!
そして、株式の希薄化によって、
エドゥアルドは完全に「Facebook」から排除されてしまうのだが、
激怒して去っていくエドゥアルドの背中を見送りつつ、マークはショーンに言う。
「あそこまでする必要があったのかい?」
マークの目指す「Facebook」に着いて来られなかったエドゥアルドは、
会社にとっては穏便に去ってもらってかまわない人間だが、
ふたりの友情までも修復不可能なほどに壊す必要ななかったはずだ。
24hパーティピーポーなショーンとは人間的には理解しあえないであろうマークが、
学生時代に友情を育んだエドゥアルドとの決別の時に、
「僕たちの友情まで壊す必要があったのかい?」と漏らす。
友情だけでは乗り越えられないビジネスの非情。
それに引き裂かれるふたりの絆。。。
そこに愛なんてなくてもいいのだ。ちょっと友情が濃ければそれで充分。
この関係性を「王道のやおい」と言わずしてなんとしよう。。。
...と、スクリーンの前で密かに萌えていたもうひとりの私がいた。
『ソーシャル・ネットワーク』は
「Facebook」使っていなくても充分"萌え"に値するお薦めの一本です。
※映画のザッカーバーグはフィクションであり、実在のザッカーバーグ氏らとは無関係です。