新渡戸稲造 on 社会起業
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新渡戸稲造は、起業家が「社会・国家への貢献」を口にしがちなことについて、このように述べています。大正5年(1916年)の話。
私は実業を志す人に、社会・国家を忘れろとは決して言わないけれども、口に出すことだけは遠慮するほうがよかろうと勧めたいくらいに思っている。どんな事業でも社会に必要な事業なのだから、宣言をしなくても社会に貢献するのである。
新渡戸稲造『[新訳]自警』(PHP研究所、2008年)
その通り。事業はすべからく社会性を帯びています。
仮に何か事業を起こすとする。この事業が社会で必要のあるものならば、それ相応の需要が生じて、この会社も相応に繁盛し、その結果相応の利益を得る。
もし会社が利益を得られないとすれば、その仕事を社会が要求していない証拠である。要求しないものを押し売りしようとするのは、世間の人に「国家的事業であるから私の製品を買え」と叫んで押し売りするようなものではないか。
社会の需要よりはるかに進歩した事業でも、あるいは社会の指導者または模範ともなるような事業であっても、商売となればどんなに勘定しても間に合わないというようなものならば、このようなことは私人がするよりは直接あるいは間接に国家そのものが行うことが至当であろう。(同上)
「どんなに勘定しても間に合わない」ような社会的な課題なんだけど、「直接あるいは間接に国家そのものが行」ってくれないから、私人あるいは私企業で挑戦する。それが社会起業です。かくも分が悪い挑戦に、起業率が少ないと言われている日本で、いま高い関心が寄せられているという事実。
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