気分という暴君
もし、たとえば気持ちが落ち込んで瞑想する必要を感じるときだけやるのは、意味がないの。それだとやっばり気分の言いなりになっていることになるからなんですって。気分というのがいちばんの暴君で、そもそも坐禅の理念はその暴君から自由になることなのだと先生は言うの。
― ローレンス・シャインバーグ 『矛盾だらけの禅―悟りを求めるアメリカ人作家の冒険』(清流出版、2010年、太字は引用者による)
情動(emotion)とか気分(mood)とかのお勉強をしていたせいか、太字の部分にハッとしました。われわれはいつもなにがしかの気分でいるわけですが、ある瞬間にどういう気分でいるか、明確な理由があるわけではありません。 そんな「気分」がわれわれの思考に意外と強い影響を及ぼすことを考えると、「暴君」とは言い得て妙だと思いました。
上記の引用文の前には『私の先生は、その気になってもならなくても、毎日同じ時間に(引用者注:瞑想を)するのが大事だと言うわ。』という一文があります。これだとたしかに気分の言いなりにはならないけれど、時間の言いなりってことにはならないかな、などと思いつつ、最近読んだ村上春樹の対談で同じような記述に出合ったのを思い出しました。
現物がいま手元にないのですが、それは雑誌『考える人 2010年 08月号』での対談でした。いったん執筆モードに入ったら、毎日決まった量の文章を書いていく。どんなに書けなくても、逆にどんなにノッていても、決まった量を書く。常にそのようにして書いていると話していました。この場合は、量の言いなりになっていると言えなくもありません。時間の言いなりになるにせよ量の言いなりになるにせよ、気分の言いなりになるよりはマシなのか。
ひとりビジネスの人も、「気分」というよりは「時間」の言いなりになることを選んでいるように思います。ひとりカンパニー9年目の僕はわりと気分の言いなりになる方ですが、仲間を見ていると、きちんと着替えたり、オフィスを借りて出勤したりしています。
そうそう、お勉強の一環として読んだ本を肴に書評コラムを書きました。もしよかったらご一読ください。
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