「大ぜい」の論理
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この世の中は、自分で考える力のあるひと握りの人と、自分では考える力がなくて、すべて他人に考えてもらう大ぜいの人から成っている。
大ぜいは他人の考えをおうむ返しに言ううちに、自分の考えだと思って、この世は自分の考えと同じ考えの人に満ちているところだと狂喜して、それに反対のものがいると驚くにいたる。驚いてはじめ仲間にしてやろうとして、仲間になればよし、ならないと今度は別の驚きを驚いて「村八分」にするのである。
― 山本 夏彦 『笑わぬでもなし』 中公文庫
『笑わぬでもなし』は1976年刊。僕は1992年に出た中公文庫版で読みました。
上記の箇所は、当時は大して印象に残りませんでしたが、
15年ぶりに読み返すと、強くうなづけます。
それは、社会で重ねた経験のせいかもしれませんし、
単に自分の「大ぜい」さかげんに気づいてしまったせいかもしれません。
ただそれらを差し引いても、ネットなくしてはここまで強く共感しなかった気がします。
ネットはレンズだ、と感じました。
人間の特質の一面を速く大きく拡大して我々に見せてくれます。
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