発想はいつメモするべきか
■メモをしないとすぐ忘れてしまうような着想こそ重要
ノーベル化学賞を受賞した福井謙一氏は、いつもメモ用紙と鉛筆を手元に用意していた。
「メモをしないでも覚えているような思いつきは、大したものはない。メモをしないとすぐ忘れてしまうような着想こそ重要なのだ」
と語っている。
(太字は引用者による)
― 樺 旦純 『「一瞬のひらめき」を活かせる人活かせない人―「発想の瞬発力」がつく90のスパイス』p81、 大和書房 2000年
「何だっけ……。思い出せないということは、大したアイディアじゃなかったんだ」
と、よく負け惜しみ半分で言ってしまいます。でもそうではないですね。
特定の状況下で特定の刺激を受けて生まれたアイディアは、通常モードの思考プロセスでは到達できない地点にまで達して生まれたがゆえに、頭だけで再構成するのは難しい……ということだと思います。メモ重要です。
■考えをメモする ≠ メモしながら考える
ではメモしながら発想を練った方がいいのか?発想の断片をカードに書き出してグループにまとめたり並べ替えたりする、いわゆるKJ法(『発想法』)について、立花 隆や野口 悠紀雄は以下のように批判しています。
これが利点となるのは、頭が鈍い人が集団で考えるときだけである。(略)普通以上の頭の人が一人で考える場合には、これらの特徴は欠点となる。(略)意識の中で行われる無形の作業を物理的作業に置き換えると、能率がガタ落ちする。
― 立花 隆 『「知」のソフトウェア』 講談社 1984年思考は、どこかの段階で外部化する必要がある。しかし、KJ法はそれをあまりに初期の段階で行おうとするために、発想の能率を低下させている。
― 野口 悠紀雄 『「超」発想法』 講談社 2006年(文庫。単行本は2000年)
たしかに、様々な断片に脈絡が付く、言い換えると「ガーッとつながる感じで考えがまとまる」のは、紙の上ではなく一人の脳の中です。
※この「一人の」脳というのもけっこう大事なポイントで、発想はグループでなく個人の仕事です。
厳密にいえば、知識を創造するのは個人だけである。
― 野中 郁次郎 (著)、 竹内 弘高 (著)、 梅本 勝博 (翻訳) 『知識創造企業』 東洋経済新報社 1996年
■書いて、見て、考えて、ひらめいて、書く
とはいえ、分かっていることを書き出してみないと考えがスタートしません。
僕の場合はこんな感じです。
(↑ 一般的にもこんな感じではないかと思いますが、リサーチしたわけでもないので)
- 書き出して (← カードやマインドマップ)
- 並べ替えたりしながら視覚化して (←カードやマインドマップ)
- 煮詰まって (← …… )
- 頭の中で考えて (←散歩などしながら)
- ひらめく (←ここでメモ!)
散歩はいいですよね。画面を見ることも、書くこともなく、ただ考えられるからでしょうか。
散歩にメモ帳は欠かせません。