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日々の「ハッ、そうなのか!」を書き留める職遊渾然blog

「床屋の満足」は伊丹十三『女たちよ!』所収のエッセイに

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 散髪したての男というのは、なんとなく哀れを催させる存在である。耳の上や首筋を必要以上に青青と、整然と刈り込まれてしまって、どこからどう見ても、床屋の美意識、床屋の解釈による、床屋の作品、という趣ではないか。もしこの作品に名をつけるなら「床屋の満足」ということにでもなろうか。
― 伊丹十三 「他人の顔」 『女たちよ! (新潮文庫)』 新潮文庫

「床屋の満足」は、先日読んだ『おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由』に出てきました。著者の中島さんはこの言葉を「現代用語の基礎知識」に載せたいと書かれています。どのような意味においてか?本書の元になっているblogから引用します。

『床屋の満足』である。これは、「本来顧客の満足を最優先すべき商売もしくはもの作りをしている人が、自分の満足を優先して行動してしまうこと」を意味する。語源は、筆者の名前は忘れてしまったが、大昔に読んだエッセイである。
Life is beautiful: 床屋の満足

「筆者の名前は忘れてしまったが、大昔に読んだエッセイ」というのが、冒頭で引いた伊丹十三の文章。たまたま僕の愛読書でした。

作り手が自己満足に陥ってしまうという問題はかなり普遍的なもの。床屋を「自己満足しがちな作り手」の代名詞にしてしまうのは、床屋さんにちょっとかわいそうな気がします。しかもくだんのエッセイは30年以上前の風景(僕の手元にある文春文庫版は、1975年が初版)を描いたものですからね。では現代の「床屋」的職業は……?と考えてみると、また自戒オチになりそうなので省略します。

この本のことを書いていて、以前に書いたコラムを思い出しました。梅田望夫さんの『「起業家としての生き方」のほうが「より合理的な選択」』であるというblogエントリに共感して書いた文章で、調味料として『女たちよ!』から引用しました。「床屋の満足」もいいですが、「自分の近代五種」も広まってほしい。

エンジニアは“起業家マインド”で生き残る ~まずは自分だけの「近代五種競技」を探そう!~
(コラム:自分戦略を考えるヒント(1))

『女たちよ!』は、新潮文庫で500円。文春文庫版の古本は1円で売っています。「千夜千冊」の一夜が、この本に捧げられています。

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