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ナレッジマネジメントが永遠の課題だと思う所以(1)

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 このところの本業の忙しさにかまけてあまりまともなテーマを書いていなかった気がするので、今日は初心に帰ったつもりでこのブログのタイトルにも使っているのこの話題について書いてみたい。以下、ナレッジマネジメントと表現すると若干ぼやけるので、今日はわかりやすく組織の中での情報共有と言い換えつつ書いてみた。

 ナレッジマネジメントが永遠の仮題だと表現する理由は細かく書くとたくさんあるのだが、その中でも特によく私が情報共有は永遠の課題だと思う理由には大きく2つある。

 まずひとつめは情報の共有にゴールが無いこと。もうひとつは共有すべき情報(知識・知恵)が多種多様でありすぎる事である。

 情報共有というのを言い換えると、それまでにある情報を知らなかった人にその知りたい情報を知らせる、ということになるのがだ実はこれには最終的なゴールがない。人が知りたいと思う欲には限りが無いので、情報共有を実施してひとつの知らないことを知らせた瞬間には次に知りたいことが湧き出てくる。あるいは組織の場合、ある人に知らしめた次の瞬間には、その情報を他の全員にも知らせたいということになったりもする。
 具体的な例で言うと例えば営業力強化を目的として何らかのシステムを導入して企画書や提案書を組織内に共有したとする。あわよくこのシステムが順調に稼動して営業員全員が簡単に企画書や提案書を簡単の入手し知ることが出来る環境になったとする。そうすると次には、今度はその提案書を実際に使った事例を知りたいだとか、企画書を顧客に説明する手法を知りたいといったニーズ、あるいは自社の営業員だけでなく代理店の営業にまで提案書や企画書を見せたいというニーズが発生する。そしてこのニーズをかなえると、次にまたより高度なものや広い範囲での情報共有ニーズが表出化するのである。

 実際に組織における情報の共有というものに最終形があるのだろうか。あくまで私見であるが、私は情報共有にはその時々に考えうる理想形はあるとしても最終形はないと思っている。

 時々ナレッジマネジメントの導入に際してこの最終形ばかりを気にする人たちに出くわすのだが、これは注意したほうが良いと思う。ありもしない最終形をあまりにも追い求め過ぎるのは時間の浪費に繋がる可能性が高いのと、もうひとつは現時点の姿とあまりにもかけ離れた姿を最初から追い求めると途中の過程がおろそかになって結局まったく前に進まないということがあるからだ。

 さてよくナレッジマネジメントには失敗事例ばかりという意見も聞く。経験上この意見には頷ける部分もあるが、時として事例を誤って評価しているケースにもあるように思う。導入後の一時期は成功してた情報共有や情報流通の仕組みも時間の経過に伴って役割を終えることがある。上記の例でいうと提案書や企画書は全て見て頭に入ったからそのシステムはもう使わなくて済むという状態である。こうなってしまったシステムは失敗事例ではない。このように当初の成功事例を最終的には失敗事例にように扱っていることがままあるのだ。ちなみにこういったときにその仕組みを失敗事例だと決め付けて廃止したり更新をやめたりすると実はもっとひどいことになったりする。それまで既成事実化して無意識的に共有していた情報が流通しなくなるのだ。
 いうなれば情報共有には、あるステップの情報共有が実現してこそ初めて表出化する(した)次のニーズというものが存在するということ覚えておいたほうが良い。

 長くなったのでもうひとつの理由である、共有すべき情報(知識・知恵)が多種多様でありすぎる事については、明日以降に改めて書くことにしたい。

#なんと!タイトルの誤変換をしてしまった(苦笑) 2007/7/5 9:57

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