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α世代の夏休み、海外ワーケーション&留学体験談

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日本の夏は長丁場。学校は7月からおよそひと月半にわたる夏休みを迎えます。小学6年生の息子が、初めての海外留学に乗り気になったのは、そんな夏を控えた6月のこと。この時点では、まさか母子で一カ月に二度、オーストラリアからフィリピンへと海外渡航するようになるとは、思ってもいませんでした。

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おじいちゃんからの英語のすゝめ

海外留学といえば、英語学習が昔からひとつの主流。ちなみに息子は英語初心者、聞き取りも会話も初級のよくいるタイプの小学生。思い起こせばまだ赤ちゃんの頃、義父が「英語は話せるようになっておきなさいねー」と声をかけてくれていたものの、いまだ達成していないのが現実。ならばコロナも5類に移行したのでちょうどよかろう、と早速リサーチを始めました。

まずインターネットで情報検索、「小学6年生、夏休み、留学」をキーワードに出てくる情報の中には、30年以上前にわたしが留学した時に聞いた気がする名前もちらほらあります。

そんな老舗のひとつが、ちょうど週末になつかしい渋谷のビルで説明会を開催していたので、とりあえず申し込み、よし、と息子と出かけてきました。参加者は10代の中高生とその保護者が計40人ほど。夏休みを利用した短期留学、いわゆるサマースクールの体験談を高校生のお兄さん、お姉さんたちから聞けて、ぐっと身近になりました。

選択肢ゼロからの切り替え

とはいえその場で分かったのは、夏休みまでひと月のタイミングで、しかもすでにほかの予定が入っているとなると、その学校では行ける選択肢がゼロ、ということ。そこでくやしさに火がついて、その週末から短期決戦で問合せを本格化しました。

検索サイトの検索結果の上位から、提供内容をざっとみて小学生対象の海外留学を確認すると、問合せフォームから

  • 小学6年生、留学、サマースクール
  • 日程は7/29~8/14もしくは8/21~31のいずれか
  • 期間1~2週間の英語習得向け
  • ボーディングスクールあるいはホームステイ

と希望を送ります。この時点で問合せができる会社は12社、そのうち日程的に対応できるところは半数以下の5社でした。

渡航先は、どこも魅力的にみえて悩ましい。とはいえ、息子の先約の2件が山梨および北海道でのバスやフライトを交えた国内キャンプなので、体力的に負荷が軽い、時差の少ないアジア太平洋がよかろう、と判断しました。

しかし不安なのは、13歳の息子をひとりで海外に送ること。そうだ、わたしには海外リモートワークという選択肢があったではないか、と思い起こして急遽、「保護者同伴」「親子留学」に舵を切りました。

とはいえ二人分の渡航はなかなかの負担です。しかも、もはや夏休みカウントダウンの残り時間も、選択肢も少ない。焦りを覚える中、息子は目をキラキラさせて、英語を話せるようになる自分に思いを馳せています。その姿を見て決め手になったのは、まだまだ幼い小学生を預けても大丈夫と思いきれる「安心、信頼」でした。

初留学なら、信頼のブランド選び

情報というものは初見時はうさんくさく見えるものの、たびたび接触して理解が進むと、勝手に馴染んでくるものです。今回の息子の留学先選びも、スプレッドシートに、前提となる絞り込み条件、それから問合せ先、渡航先、検討状況、備考、費用の各項目を記入していく形で、チョイスを可視化していきました。

そして最初に決めたのは、8月第2週〜3週、山の日の祭日にかけての9日滞在プランでした。渡航先はオーストラリア、シドニー。理由は時差が少ないという地理的な要素のほかに、自分の会社やボランティア組織での仕事を通して馴染み深い、という点が大きく働きました。

最終的に選んだのは、同伴するわたしの航空券やホテルの相談もできる大手旅行代理店の、ジュニア留学プログラムでした。こちらは自分が学生のころから、格安航空券を手配できる大手ブランド、という安心感があります。短期留学についてさんざん調べている中で、もしやと思って検索してみたら、留学先もホームステイ先も手配でき、保護者の同伴も相談できたので、えいや、とお願いしてしまいました。

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プリンターに救われた手続き

小学6年生の息子の初海外留学。実施の2か月前にリサーチをはじめ、絞り込んだ大手旅行代理店のジュニア留学プログラムへの申し込みが決まってから、たくさんの手続きがありました。個人情報を書き込み署名する数々の申込書、就学に必要な説明および同意証明の書類。何にいくらかかるかの理解に追いつきながら段階的に支払いし、自分で行うビザの公的手続きもあります。メールと印刷、スキャン、手書き、コピーを組み合わせながら、キリキリする事務作業が数週間続きました。

最後の最後、学校とホームステイのあらゆる処理ができてようやく手配可能になった航空券は、直前のため急騰しており、焦って旅行代理店と電話で会話して自分の旅行手配アプリで手配。この時、早ひと月以上メールでやりとりしていた担当者と初めて声で会話でき、生じていた怒りが治まるのを感じました。

それから宿泊先はホテル専用アプリで、会社から徒歩圏内にあるキッチン、洗濯機付きのスイートの予約を確定。保険は旅行代理店もお奨めの大手海外旅行保険を選びつつ、オンライン手続きで郵送を省略。通信は迷ったものの、モバイルWiFiと、子ども用に通話のみの携帯端末を、自宅への郵送でレンタル。こうして、日常生活に支障がない最小限のやりとりと出費でなんとか収めました

どれもこれも初めての手続き、しかも親子の海外渡航と子どもの留学のダブルとはいえ、これは正直、スマホとPCだけでなくホームプリンターがなければ、達成できなかったかもしれない。いやむしろ、ホームプリンターがあったから夜にコンビニで印刷やコピーといった苦労がなく、平静を保てたのだと思いました。この時ばかりは、HP Smart Tank仲間のプリンター活用術を読んで励まされました。

こうしてシドニー出発前の週末には、旅行代理店から印刷物の速達も到着。A4弱サイズのポーチにきれいに納められた書類は、留学の必要書類のほか、現地での生活のための情報など、どれも必須項目ばかり。

加えてありがたかったのは、渡航前日に担当者とのビデオコールで、1時間以上にわたって、飛行機に乗る、降りる、ホームステイ先と学校でのこと、現地での交通やお金のことなどをカウンセリング。ご担当者自身の中学生時の話も交えて、息子が分かるようにきめ細かく電話相談してくれたのには、安心して救われました。そしてアドバイスどおり、ホームステイ先のホストマザーにWhatsAppでご挨拶し息子の写真を送って、くれぐれもよろしくとお願いし、先方からはまったく心配しないでと、優しい返事をもらうことができました。

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LINEで二度目の留学決意

こうしてシドニーの渡航準備を進めるうちに、「小学校最後の夏休み」という魔法の言葉に取りつかれたわたしのタガが外れ、「そうだ、8月後半もまだあるじゃないか」ともう1件短期留学を考え始めました。なぜなら残りの手続きには、これまでの情報が活きるからです。

という訳で、シドニー渡航の次にはフィリピン、セブへの渡航を検討。こちらは、手続きをほぼLINEでできたことが、シドニーと並行できた大きな要因だったと思います。メールの返事を待つ間に、LINEで即座に返事が来て、電車の移動中などに判断でき、その手軽さは秀逸でした。

同じ短期留学と言っても、シドニーはオーストラリアのホームステイ通学、セブはフィリピンの大型ホテル滞在型の親子留学と、内容が異なります。シドニーの学校は大人が立ち入ることができませんが、セブの方は子どもに同伴する保護者も入れるオリエンテーションや課外授業などのプログラムを散りばめ、親子の思い出づくりによさそうな雰囲気です。

こうして、オーストラリアとフィリピンへの渡航が形になってくると、ふだんは海外に尻込みする息子も、日にちを数えながら楽しそうにのってきました。

ギブスをつけたままの日本出国

しかしながら息子の夏休みは、左手首の骨折から始まりました。保育園の頃から7年通っている地元のサッカー教室でのプレー中に、他の子どもと接触して地面に倒れ込む時に腕から落ち、左手首の骨が二本、折れてずれてしまっていました。

夏休みを目前に控えた7月半ば、土曜の夜の事故後、夫がすぐに息子を近くの病院の緊急外来に連れて行き、最短でその週水曜の手術が決まりました。初めての入院で不安がいっぱいの息子でしたが、手術は問題なく終わり、ギブスをつけた生活にもすぐに慣れました。

夏休みに入ると、猛暑により学校で予定されていた夏季水泳教室はキャンセルになりましたが、ギブスをつけて泳げない息子は動揺することなく、毎朝6時半からのラジオ体操に出かけました。毎日ペットのクワガタムシやカブトムシに餌をあげ、約束できたら友達のところにも遊びに行き、何度もリピートしている山梨での3泊4日のサマーキャンプにもつつがなく参加できて、順調な滑り出し。

こうして、日本の医療と、旅行代理店の手厚いサポートのおかげで迎えた8月第一日曜日はいよいよシドニー渡航。骨折手術のため腕に金属を入れているので、出入国時にひっかからないよう、病院で発行してもらった医療証明書を携えて飛行機に乗り込みました。フライトは、嬉しいことに相対的に安かった日本のフラッグシップキャリア。馴染みあるジャパンブランドのサービスを享受しながら、10時間に満たない快適な空の旅を、親子ともども映画三昧で楽しめました。

猛暑にコートを手放せない冬のシドニー

朝11時過ぎのフライトで羽田空港を出て、シドニー空港への到着は夜の7時過ぎ。ここでのわたしのミッションは、息子をホームステイ先に送ってくれるドライバーに引き渡す前に、最低限の生活の基盤を整えることでした。一週間分の昼食その他生活に必要な現金と、乗り放題の現地の公共交通カードOpal card、あと日本で手配した携帯電話端末を持たせるのです。40分ほどの時間との戦いの中で、現金を換金し、Opal cardを購入、携帯はつながることがなく仕方がないので説明書きを見せてやってみるように伝えて、すべて渡して別れました。

空港からのピックアップ便に一緒に乗り込む十代の女の子たちと、ドライバーの女性からなる日本人グループについていきながら、緊張でいっぱいの息子の後ろ姿を見るのは複雑な思いでした。

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そして、わたしはわたしで、一週間仕事に穴を開けられないという緊張感が走ります。8月のシドニーは朝夕11℃ほど、同じ時期に30度を上回る日本に例えるなら、2月なみの寒さです。ここで体調を壊して仕事ができないなんてことにならないよう、明日に向けてとっととタクシーでホテルにチェックインしました。

今回、狭い部屋とむずかしい交通は避けたくて、会社に歩いて行けるサセックス(Sussex)通りに位置し、古くても広さがあるキッチン、ランドリー付きのホテルのスイートを選びました。おかげで部屋の中を歩き回れるという余裕に癒された頃、ホームステイ先の家主でインドネシア移民の60代女性のホストマザーからWhatsAppのメッセージが入りました。息子は無事に到着したという連絡とともに「緊張して少し怖がり、動揺しているから安心させてあげて」とのやさしい言葉でした。

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つながらない携帯とつながる心

息子にせっかく持たせた携帯はつながらないため、ホストマザーに通話させてもらい息子の声を聞けました。言葉少なく泣きそうな気配を感じて、わたしの方も涙を流しながら夕食について尋ねると、食べてない、とのこと。

「何か言われたけど、わからなかった」「お腹すいてないし、日本からもってきた柿ピーがあるから食べなくていい」と冷静そうに話す様子に、心配と同時に少し安心を覚えました。息子にはホストファミリーに日本のお土産のお菓子をわたすようにリマインドして、通話を切りました。それから、遅くまで空いている近くのチャイナタウンで辛い鍋料理をテイクアウトして食べ、シャワーを浴びて寝ました。

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ホストファミリー宅から息子の学校までバスと電車で一時間ほど。ふだんは自宅の目の前、徒歩1分の区立小学校に通う息子にとって、十分にハードルが高い通学路です。初登校を前にわたしは、意を決して6時前に起きてホストファミリー宅方面に向かいました。

途中のマスコット(Mascot)駅で降り、最寄りのバス停前で7時過ぎに「よかったら初日の通学に付き添うためそちらに行きましょうか」と連絡すると「もう一人いる日本人のお兄さんも同じ学校なので、今日わたしが連れていくつもりですよ」との返事。

おお、学校まで連れて行ってもらえるのならありがたい。ここでひと様にお任せすることこそ、ホームステイの意義でしょう、と自分に言い聞かせ「お願いします」と返信。そのままホテルにUターンして、仕事の支度をしてオフィスに出勤しました。わずか一週間とはいえ、新しい日常の始まりでした。

シドニーで働く

わたしを受け入れてくれたシドニーオフィスは、にぎやかな都心のマーケットストリート(Market Street)に位置し、居心地が良い快適な環境です。キッチンやミーティングスペースが開放的で、壁にはオーストラリアのアートが飾られ、回遊型のオフィススペースに机、モニターとプリンターが使いやすく並んでいます。もともとミーテイングを申し込んで入れていた人はもちろん、マネジメント層や同じアカウントチームの方などが気さくに声をかけて挨拶や話しをしてくれて、ひたすら感謝の一言でした。

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そして息子の学校は、そこから徒歩5分ほど、交通の要所であり歴史的建築タウンホール(Town Hall)の目の前と難なく歩ける範囲です。事前に聞いていた学校の休み時間にあわせて様子を見に行くと、いろいろな国の留学生の中に日本人のクラスがあり、それなりに馴染んでいました。同じホストファミリーにいるお兄さんが一緒に通学してくれている、ビルの下のラーメン屋さんでお昼ご飯を食べている、などと話してくれました。

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オーストラリアでも一、二を争う大都市のシドニーは、心癒される港に囲まれ、大きな公園と美しい建物に彩られています。地名や街中の説明書きには現地の言葉も多く使われ、アジアからの移民も多く、列車や路面電車と交通の便も良くて、懐の大きな街だと思いました。

早い日没、長い夜

8月が冬のシドニーは、寒いだけでなく、午後5時には日が傾き6時には暗くなり、寂しさを覚えます。とはいえ町並みが整備され随所に地図があるので、夜の散策にも打ってつけです。オフィスもホテルも徒歩圏内のシドニーなら、位置情報をたどるiPhoneとモバイルWiFiの電源切れを心配することなく、安心して街中を散歩でき、快適でした。

仕事終わりの金曜日を迎えて、土曜日に会社近くのホテルをチェックアウトすると、空港とホストファミリー宅が近いホテルに移動しました。ちょうど、息子の登校初日に足を運んだマスコット駅から歩いて5分程です。

チェックイン前なので荷物を預けてから、現地で教えてもらった観光名所クージー(Coogee)ビーチまで40分ほどバスに乗り、ランチにはこの旅いちばんのバリューを感じた北インドのカレーを選び、ビーフ、ラム、チキンの3種を堪能。それからボンダイ(Bondi)ビーチまでの海岸線を2時間以上かけて歩き、ワトソンズベイ(Watsons Bay)からフェリーに乗るようバスでの移動を試みました。

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ここで、オーストラリアのバスの盲点が明らかに。バス停を見分ける方法が分からないのです。ボンダイからワトソンズベイに向かう途中で降ろされ、いったいどうやってどこにいけばよいのかわからずに、だいぶ途方にくれました。

さいわいiPhoneもWiFiもまだつながり、バスターミナルを見つけて今度こそ本当のワトソンズベイ行きに乗車。しかしリアルタイム路線図が示す時刻表からはどこを走っているか読み取れず、途中から運転手の後ろに貼りついて「ワトソンズベイに行きたいから教えて」とお願いしました。

運転手曰く、そのバスも途中までしか行かないので降りて324を待て、とのこと。午後4時過ぎ、すでに日がかげるのを感じるただの住宅地で、バス停のベンチに座って「怖いよー、どこだよー、不安だよー」とひとり言を口にするのが精いっぱいでした。

そこからワトソンズベイに着いたのは午後6時をまわりもう真っ暗。フェリーから見える水面は深紺色、ガラス越しの夜景はあいまいで、淡々とした移動でしたが、公共交通機関だけで一日移動できたことに、小さな自信を覚えたのでした。

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オーストラリアのお酒事情

それからマスコットまでもはや慣れた電車で向かい、無事にホテルにチェックイン。メリトン(Meriton)という、オーストラリアの町で目印にもなるホテルチェーンの一つです。郊外施設のスイートルームともあって、十分な広さと快適さに安堵を覚えました。またオーストラリアに来て泊まるならメリトンだな、と思いました。

さて、お昼はたくさん食べてお腹が空いていないのですが、何か飲もう、とリカーショップを探します。ちなみにお酒を売る店は限られていて、ホテルから10分足らずのところで遅くまで空いているのはマスコット駅前の1カ所のみ。25歳以上に見えれば、とくにIDを求められることもなく酒類を買うことができます。

マスコットは郊外とはいえ、駅の周りはちょうどよいホテルや飲食店が充実しています。大きなスーパーもアジア食材のお店もあり、アジア人にも良い立地です。まずはスーパーで水やレンジ調理できるフライドポテトなどを買い、明日の息子の朝食などを物色し、その後リカーショップに行きました。

シドニーの物価は高い、と他の国から来たオフィスの仲間も言っていました。ランチは通常16~17ドル(1600~1700円)から。ちょうど滞在中に円高が進行し少し楽になりましたが、日本で牛丼屋が500円以下なのを考えると、たしかに高い。

お酒は輸入物の安いビールが5ドル(500円)ほど、ワインも小瓶だと10ドル以下、1000円せずに買えます。大量に飲むわけでないので、たまの贅沢、とお得なスパークリングワインを選びました。明日はようやく息子に会える、という嬉しさを胸に、会計をすませようとすると、まさかのクレジットカード拒否。20歳そこそこぐらいの店員が、とくに感情も示さず「クレジットカードが拒否されています」と繰り返し、何度か試してもやはりダメでした。

海外でクレジットカードが使えない。フライトは明後日。はたして明日、わたしは息子に会えるのか。スーパーで買った日用品を手に、いったんホテルに帰り、財布に入れていたもう一枚のクレジットカードを持って、再度、駅前に向かいます。

その時点では、何の根拠もなく「あの店員が間違っているに違いない」と思い込んでいましたが、ふと、信号手前のコンビニで、試しにいつものクレジットカードでポップコーンを買おうとすると、ここでも同じくクレジットカード拒否。「では」ともう一枚のカードを渡すと、おめでとうございます、と言うように支払いできました。そうなると、確実にふだん使いのカードの問題です。

先ほどのリカーショップに戻り、もう一枚のクレジットカードで無事に買い物してホテルに帰着。お酒を買えた時の店員さんの態度は変わらないのに、先ほどより優しい表情をしているように見える自分に笑いました。

出国1日前のクレジットカード停止

海沿いを散歩し、バスで迷子になり、フェリーと電車でホテルに帰って、酒屋での買い物に失敗して近所を往復したこの日は、計20キロ以上歩いていました。手元に残る現金はあと数百円相当。公共交通機関で使えるOpal cardの残高は2ドル50セント。明日、息子に会いに行くのにバスに乗ってひっかからないかの確信はなく、賭けです。

浮かない気持ちでクレジットカードの支払い履歴をオンラインで確認し、サポートセンターに電話し、分かったのは単純な支払い上限の問題...。そういえば、2人分2回の海外渡航、通信や保険、留学やホームステイにかかるもろもろの出費をほぼクレジットカード払いにした。ふだんここまで大きな買い物をすることも、クレジットカードの利用枠上限を意識することもなかった無知な自分を呪いました。

気を取り直して、とりあえずスパークリングワインを飲み、就寝。翌日は、なんとかなるだろうと残りわずかなOpal card頼みでバスに乗り、運転手に行先を伝えて、最前列の席に座って降車スタンバイし、朝10時きっかりに息子をホストファミリーのところに迎えに行きました。

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素敵なお宅が並ぶ住宅地で、軽く迷いながらたどりついたホストファミリー宅の前に息子の姿が。ホストマザーは「この子はまだ幼い、まだ若いね。でもいい経験になったと思うよ。また来たら戻っておいで」と声をかけてくれて、思わず目頭が熱くなりました。会ったら写真を一緒に撮らせてもらおうなどと思っていましたが、そんなことに頭が回らず、ただ目に涙をにじませながら、感謝の気持ちで何度も頭を下げて、別れました。

それから息子とバス停に向かい、学校のこと、ホストファミリー宅のことなど話を聞きました。同じホストファミリーにいた日本人のお兄さんはショウヘイさんと言い、同じバス停からバスに乗っているとのこと。バスの中でそう聞いて「もっと早く言ってよ」といいながら、バスを降りる時にわたしも「ショウヘイさんありがとう!」と声をかけて手を振りました。

レンタル端末の紛失事件

学校は中学生、高校生しかおらず、自分が小学6年生と言ったら驚かれた、とのことでした。留学と言えども、学校の課外授業は観光名所巡りと、うらやましい体験ばかり。息子は英語を話せるようになったわけでもありませんが、ともかく初めての土地、初めての環境で1週間過ごせた。年上ばかりとはいえ学友に可愛がってもらい、マイペースで楽しめたということがよかった、と思いました。

食事も美味しかった。洗濯もホストマザーがしてくださったとのことで、生活面の心配もなかった模様。安心して荷ほどきをしながら、結局つながらなかった携帯電話を確認しようとしたら、なんと紛失していました。

昨日、学校に行く際に時間を確認するのに携帯電話を見たが、それ以降は見ていないとのこと。ホストマザーにWhatsAppメッセージで聞いて家の中を見てもらいましたが、見当たらず。息子に、もう一度探すように伝えつつ、保険会社に話しをして事情を説明し、レンタル会社にはメールと電話で連絡をして、紛失届を行いました。

結局、一度もつながらなかったのでレンタル会社は利用料は請求しない旨を伝えてくれました。紛失に関しては、弁償代金4万円が引き落とされるとの説明でした。クレジットカードが止められ、携帯電話端末の弁償とは、なかなかのダブルパンチ。

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息子が帰ってきた嬉しさと、いい加減にしろと言いたくなるトラブルの応酬に、笑ってしまいました。ともかく、息子と二人でシドニーの最後の日を楽しもうと、1週間通った通学路を一緒に辿って、学校の日のランチで訪れていた駅地下モールのラーメンを一緒に食べ、シドニーオペラハウスの周りを散策し、お土産を買い、美術館を訪れ、帰りにマスコット駅で寿司、うどん、餃子を食べて、ほっとしてホテルに帰りました。

メリトンの気持ちのよいベッドでの睡眠を楽しんで、日本の祭日を利用して月曜日に羽田空港へと帰国したのでした。

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