テクノロジー分野の企業PR支援を生業に、プロボノで「テクノロジー・ネットワーク」を運営する中の人です。
明日は大みそか。今年は周りに、結婚や出産といったおめでたが続きました。そこで、我が家で笑いを振りまく息子の、赤ちゃん時の話を、昔の記録をもとに取り上げます。
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こうたき想2012年5月29日追想 (2017年12月29日編集転載)
ひとの子が生まれるまでの期間は、懐妊から40週、280日と言われています。
我が子の出産は2012年5月29日だったので、2011年の8月頃には静かに小さな命が芽吹いていました。
・・・ということに気付いたのはなんと、時すでに26周、出産3ヶ月前です。
自分自身、年末から体調悪いなー、おかしいなーと思っていました。
とにかくダルい、お腹が重い、眠れないし起きれない。
いろいろ疑って内科にかかり、内診やエコーを経て"腹膜炎かも"、"これは消化器の問題だ、小腸の炎症だ"などと診断されて、数ヶ月にわたり点滴や内服液、注射などで消化を促し、胃腸に負担がかかるものは摂取しないよう努めて、半分倒れながら仕事をする状況でした。
毎日、あまりにしんどいので、一日が終わるとビールとかちょこっと飲んでがんばってました。
しかし数ヶ月通院するにも関わらず症状は悪化、お腹の張りはひどくなる一方。
年始にはCES(米ラスベガスで開催されるビジネスイベント)があり、新規クライアントのイベントもあり、仕事が忙しいので毎週のように薬を処方してもらいながらお酒も飲みながらだましだまししのぎ、合間を縫ってタイ&シンガポールにバケーションに行き、2月に入ってようやく少し落ち着いてきたので内科医に今一度、問いかけました。
わたし 「先生、わたしの不調、もう何か月か続いて長いんですけど、本当に治るんですかねぇ...。(絶望ぎみ)」
医師 「そうだねー、消化器系は治るのに時間かかるケースありますからね。ただ、筋腫とかだったら私では分からないけどね。」
わたし 「ええっ!!???きんしゅ?って???」
医師 「子宮に関してだったら婦人科に行ってみてください。」
・・・って、ええええーーーー!!??
確かに食べるものも食べられない状況が続いていたので月経不順でしたが、もしかして子宮筋腫ですか!!!??いや、正直、中年太りかと思って一生懸命歩いたり走ったりしていました。それがこともあろうか、子宮筋腫ですか!?
と、また違う絶望の淵に立った気分で即刻、婦人科の予約を翌日入れました。
そして仕事の合間に診察してエコーで診た医師の言葉が
「赤ちゃんですねー。26周、7ヶ月半ですねー。男の子ですよー。」
だったのでした。
「ええええええええええええええええーーーーーー!!!!???いやー、びっくりー、びっくりーーーー!!!??そうですかーーー、どうりで、道理でーーーー!?それはお腹が重たくて大きくなる訳だ、びっくりーーーー!!!」
と、いかんせん心の準備ゼロ、結婚して9年目でもうウチは無理だろうと勝手にあきらめかけていたので、小さな内診室でとても四十がらみの大人とは思えない騒ぎ方をしてしまいました。
そう言えば、年が明けてプレゼン作成やコピー取りのときに、お腹がぐるぐるすると感じていたのですが、消化剤により腸の蠕動運動が促進されているものと思っていました。胎動だったのでしたんですね。ひとって不思議。
まさに降って湧いたようなおめでただったので、その後は分娩予約できる病院探しに奔走したり(どこも妊娠14週以上の初診の分娩予約は引き受けたがらないからこれが大変)、仕事の引き継ぎに苦労したり、自覚とともに襲ってきた骨盤の痛みや動悸に苦しんだり、わずか3ヶ月の妊婦生活を駆け抜けました。
まるで、桃太郎の桃が降ってきたような気分であれよあれよという間に産休に入り出産したのでした。
まわりの皆さん、とくにチームメンバーには大変なご迷惑をおかけしました。
人生、意外と驚きの連続です。
玉手箱から赤ちゃんが出てきたようで、とにかく幸せの一言に尽きる驚きの妊娠発覚でした。
さて、2012年6月1日の出産予定日を前に、ゴールデンウィークとともに臨月を迎え、病院でのNST(NON-STRESS-TEST、胎児モニタリング)により胎児の心拍数や子宮収縮を週一ペースで観察しながら、出産を今か今かと待つようになりました。
・・・しかしここで、NSTのモニターに表れる子宮収縮のグラフ、いわゆる"お腹の張り"の指標を、全く体感しないことに自分自身、若干疑問を感じていました。
「ふぅーん、モニターはお腹が張ってると示してるけど、そんな山のような張りは来てないぞー。お腹は山も谷もなくずーっとパンパンだぜ」
ぐらいにズレた感想を抱くのみでした。
ちなみに子宮口の開きは2週間ほど早く、
これは赤ちゃんの登場が早まるかと思われるなか、
意外と留まり続けて5月21日の金冠日食も自宅で観測しました
。
なんていう妊婦生活39週目も半ばを過ぎた5月29日の明け方4:
30、いきなりどーんっ!!!と来ました。
そのくらいイキナリです。どーんっ!!とお腹の子が膜を突き破った感じがありました。
「うわー、来た!!」と思い痛みの時間を計ると10分ほど継続。
これはまずいと思いトイレに駆け込むと案の状、出血。
病院からは前駆陣痛の入院は受け付けず、"陣痛が7分おきになったら病院に来るように" と言われていたので、間隔を計ろうとしましたが、もう出そうで正確に測るのが難しい状態。
必死の思いで主人を起こし、病院に電話し、のたうち回るばかり。
もはや不規則な痛みが止まらなくなり、腰の骨が割れて砕けそうな力に抗えず壮絶なうめき声をあげながら、もう「出るー、出るー!!!」と大騒ぎせざるをえませんでした。
電話口の病院は最初、車で来るようにと言われたものの、30分経たないうちに2度目の電話をしたときのこちらの異常に気付き「今すぐ救急車で来てください。」と指示されました。
・・・それからは、余りの痛み(追記:恥ずかしさ)にほぼ始終目を閉じていたので、耳から聞こえる情報と主人の目撃証言が鍵になりますが、5時過ぎに消防車と救急車2台が来る大騒ぎで我が家に救急救命士さん(以下、略称おじさん)たちが押し寄せた時、わたしは玄関で悶絶し絶叫してました。
自宅マンションの入り口に横たわりもだえる私を、おじさんたちが取り囲み、ブルーシートの上に寝かせて衣服を取り外してくれた時には、然るべきところから「頭が出てるぞー!」という声が聞こえました。
おじさんたちが病院と交信して産ませるという判断が下り、いきんでくださいと言われた時には"おお、助かった"と痛みながらも安堵。
"うううぅぅぅん!!"とリキむとスルんと赤ちゃんが出て「おぎゃー!!!」と泣き声が聞こえました。
あああああ、助かった~~~!!!
おじさんは、当然きちんと訓練を受けたプロなるので、赤ちゃんを取り上げた瞬間に「カンガルーケアだ!」とわたし(母親)のお腹に乗せてスキンシップさせてくれました。
そして「まあ訓練は受けてるけど、こんなケースははじめてだ」、と後でおっしゃっていました。
かくして陣痛から1時間ほどで我が子は、自宅で自ら出てくるという異例の偉業を成し遂げたのでした。
そして人生初の救急車ライド。すぐに母子ともにストレッチャーで病院に運ばれて、消防署や病院などいろいろな方々のおかげで今日に至る訳です。
(ちなみに夫も、母子ともに病院に行き、帰宅して血まみれになった我が家の玄関を掃除して、入院用の荷物を持って再び病院に行く、という偉業を成し遂げました)
しかし、出産するまで母親らしい心持ちになれるか不安でしたが、見た瞬間、全身ちゃんと人間の形をしてあまりに可愛いのでびっくりし、天使のような神々しさに感動しました。
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こうして生まれ落ちた現在5歳の息子は、紆余曲折ありましたが無事成長中で、子供らしく今オノマトペ(擬音語・擬態語)が大好き。上記の話を交えた出産前後の話がお気に入りで、おうちでふたりの時に聞かせてくれとせがみます。
「ぼくはね、ママのお腹の中でドーンッときて、ピュルルーと出てきて、おっぱいグビグビグビーッと飲んで、緑色のうんこブリブリーッとして、ゲボゲボーッと吐いて、またおっぱい・・・」
この話の繰り返しがものすごく面白いらしく、何度聞いてもケラケラケラケラ幸せそうに笑います。
年忘れが寂しく新年が楽しみなように、子育てはいつも親離れされる寂しさと将来への期待が同居するものだな、と思います。
どうぞ、我が家でも皆さまにおいても、家内繁盛、商売繁盛、心願成就などなど、幸せが育ちますよう。
よりよい時間が訪れますように。
上瀧和子(コウタキ)Kazuko Kotaki
2017/12/30 12:00:00