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社員の時に見ていた店の状況、オーナーになってから見ている店。見ている方角が違うとこんなにも違うコンビニの光と影。お客様とは何にも関係無いところで巻き起こるあれやこれ。(笑

番外編;学級通信

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今、手元に娘の学級通信がある。先日、戦争体験者から話を聞いたらしい。その時の授業の内容と子供達の感想などが添えられている。
感想の内容は、戦争は怖いなどの子供らしい感想が書かれている。ふと、思ったのだが、今の子供達は戦争に至った経緯は教えてもらっているのかなぁ?あれ?自分が子供の頃は教わったっけ?
単語単語の記憶はある。ドイツ軍のポーランド侵攻・日独伊三国同盟・アドルフ・ヒトラー・満州事変・真珠湾攻撃・太平洋戦争・原爆投下・終戦。しかし、どれも事象は教わっただろうが、背景までは教わった記憶はない。ただ記憶が無いだけかもしれない。なんせ自宅で勉強というものをした記憶が無いのだから(笑

日本はどうも戦争アレルギーになっていると思われる。戦争の話を詳しく話したがらない。ほんのちょっとでも、戦争肯定論など話した日には総叩きに遭うからだろう。
たしかに、日本は現在戦争を放棄している。戦争は良くないことだと私自身にも埋め込まれている。しかし、今後も戦争を放棄し続けるためにも、戦争は何故起こったのか、どのような状況下で戦争は起こるのか、検証をしなくてはならないのではないだろうか。

普通の教育を受けていれば「人は人を殺してはならない」と、教育されるだろう。ところが、戦争では人は人を殺しても良いのだ。
戦争・紛争の中には、宗教によって引き起こされるものもある。人を救うはずの神様は「人を殺しても良い」と、教えているのだろうか?
戦争を始めて、戦争をヤメたらノーベル平和賞がもらえる。
戦争を辞めたいと言っておきながら、兵器を生産し輸出入する。
戦争を止めるためと言って武力行使する。

なぜこのようなことになるのだろう。
人は時に、目的を達成する為には手段を選ばないからだろう。もしくは、目的達成の為には個人の意思選択を個人で行われないようにされるのではないだろうか。
例えば、コンビニオーナーと本部との争い(小っさw)では、店舗を増やすという目的の中、オーナーの個人収益などは無視される。その結果、数多くの裁判となっている。また、通常の本部巡回において、店舗巡回社員すら「そりゃないだろう」という施策を上司から言いつけられて来る。巡回者個人はその施策には反対なのに、上司が言ってきたからには従わなくてはならない。目的という大義名分の名のもとには、小さな勢力などには到底太刀打ち出来ない力がある。

その土地が魅力的だから自分の土地にしたいから
自分の信じている神様とは違う神様を信じているから
肌の色が違うから
前に恥をかかされたから
戦争に向かう理由など、関係のない人から見ればたわいもない事なのです。

私が社員という立場から独立した今だからこそ感じた意思決定の難しさ。この難しい意思決定を他に(または世論に)委ねてしまったとき、結果が好ましかろうが好ましくなかろうが決定事項に沿って進んでしまうのであろう。
戦争や紛争も同じで、国家や指導者への意思決定依存が、自らは望んでいない結果へ進んでしまう要因の一つと言えるだろう。

せめて兵器を手にするものは、その兵器の使用を自分自身で意思決定してもらいたい。元来喧嘩っ早い私が偉そうなことは言えないが、せめて子供達が戦争をしなければならなくなるような世の中にはしたくないものだ。学級通信にある子供達の無垢な感想を見て柄にもなく考えてしまった。


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