【雑感】ファカルティ・ディベロップメント、との言葉。
“ファカルティ・ディベロップメント”、今の職場に入って初めて知った言葉です。
平成11年に文部科学省より提言、平成19年に義務化とのことですから、私の学生時代にはなかった概念です(昨年度まで通っていた通信課程でも耳にしませんでした)。これだけ聞くと何が何やらとの気もしますが、文部科学省の資料から引用すると、、
“教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組の総称。
その意味するところは極めて広範にわたるが、
具体的な例としては、教員相互の授業参観の実施、
授業方法についての研究会の開催、新任教員のための研修会の開催などを
挙げることができる。”
とのことで、主に大学教員(教授、准教授、常勤講師、非常勤講師等々)を対象とした“仕組み”になるのでしょうか。端的に言うと、自身の研究に埋没するだけではなく、きちんと学生に対して“教育”をしなさいよということを明示的に謳っているのかなと、そんな風に感じています(近年の大学の質の低下への対策でもあるんですかね?)。
私の勤める大学においても全学的な教育方針の規定に明示されていて、「学生の学習能力の向上を図り教育効果を高めるため」、教育課程や教育内容、授業方法、教科書や参考文献、シラバスの内容、試験の方法、論文作成の指導方法などなど、多岐にわたる分野で、研究会や研修会、各種部会が定期的に開かれています。
で、うちの大学だけかもしれませんが、「教育」という業界にかかわっている以上は、職員であってもこれらのことを知っておくべきとの話らしく、先日そちらの研修会の一つに参加してまいりました。
言われてみれば確かに、折々で学生を指導するような立場で話すことも増えてきていますし、また、教員の先生方が指導するにあたって、俯瞰するような立場から情報を整理してお渡ししたりもしています。その視点から見ると、なかなかに有意義な研修で、今後の職務にも十分に活かしていけるような内容であったと感じています。
また、教員の先生方と顔を突き合わせて議論をするような機会をいただけることで、実際に困っていることやどんな考えを持っているのかも触れることができ、コミュニケーションとの面でも大いに活用していけるだろうとも思いました。
うちの大学の詳細な理念やそれを実現するための手法等は割愛しますが、一言でいえば「できない子をできるようにする“双方向・対話方式”の教育」といった感じになります。できないといっても、暗記力をベースにした再現力を身につけるのではなく、“知識を整理して自分の言葉で表現することで、理論的に整理する能力、思考力を身につけさせる”ことを意識しています。そういった意味では、できないというよりは「学習の仕方を知らない」といった方がしっくりくるかもしれません。
そのため、難しい言葉や専門用語で糊塗するのではなく、日常的な分かりやすい言葉で伝えるよう心がけるようにとは、規定にも明示されています。これは「難しいことをわかるように“伝える”」という能力が、教育者に求められる重要な資質の一つであることを踏まえれば、あながち外れていないかな、とも。
で、実際にはグループディスカッションの形式で、教員・職員がない交ぜになっての研修会でした。テーマが「前期の授業を振り返って」とのことでしたので、直接的な関係は薄いテーマでしたが、教員の先生方が困っている点などの気づきをいただけたのはよかったかなと。また、学生と相対するときに、意外なほど同じようなこと(言い回しや相手を否定しないetc..)で悩んでいる部分もあって、なるほどなぁ、とも。
具体的にどのように支援していけばよいのかとの点では、それぞれに悩ましかったりもするのですが、複数の気づきの中でも気になったのは「教員の間での情報共有の橋渡し」を過不足なく、上手くできる手段が必要かなとの点です。
うちの大学は担任制も導入しているため、通常の教科ごとの教員のほか、アカデミックアドバイザーと呼ばれる学生生活全体を支援する立場の教員も割り振られます。例えば、何らかの教科で出席が悪いとか課題が出ていないとか、授業態度が悪いといった内容は、基本アカデミックアドバイザーに集約されてくるわけですが、それらに対する指導状況や、学生の状況等が共有しきれていないケースが散見されたりも。
そうなると、単位を落とし続けた結果「退学」となってしまったり(ひどいときは除籍)、ちょっとしたボタンのかけ違いであった科目担当の教員と学生の間がうまく行かずに「怠学が習慣化されてしまった」との問題にもつながりかねません。教員間での情報共有を少しづつでも効率化することで、そういった問題を未然に防いでいくことができないだろうか、と考えるきっかけになったかとも、、具体的にどうしていこうかとは、幾つか試案(既に一つは試行の上でダメ出しされてますが)があるので、試していきたいとも思っています。
一つ興味深かったのは、ディスカッションでのとある先生の「何事も最初が肝心で、1年生の早いうちに学習行動を習慣化しておけば、意外なほどに持続する」とのお言葉でした。悪い習慣に埋もれる前に、なんとか良い習慣を身につけられるよう、日々の職務の中でも意識していきたいなとは感じています。
そんなこんなで、結構突発的に持ち上がった話でもあったのですが、また機会があれば参加したいと感じています。大学はあくまでも「学生を主体とする教育の場」であり、縁あって本学に来ることになった学生を、きちんと社会で生きていけるよう育んでいくのは責務でもあると考えています。そして、大学という冠を掲げている以上は、教員であっても職員であっても、時に同じ問題意識で立ち向かっていく必要もでてくるのではないでしょうか、なんて徒然に。