【雑感】伝わるように、叱らないとなぁ、、なんて。
新しい職場になって3ケ月目に入りました。最初は目新しさが勝っていた各種業務にも大分慣れ、“余計なこと”にも目が行くようになりつつあります。なぜか、スケジュール管理とかタスク・課題管理用の資料を作成していたりもして、若干前職からの“デジャブ”を感じていたりもするのですが、、
そんな中、職場で“若い人たち”を見ていると、叱る方も叱られる方も、どこか一歩引いているな、なんて風に感じるコトが増えてきているのは『叱られる力 聞く力2』を読んだから、でしょうか。
前段となる『聞く力』が150万部売れたとかでのベストセラーとなっていますが、ご自身で“2匹目のどじょう”なんて言っているあたり、面白い諧謔だなと思いながらも、、
“叱られるうちが花よ。
もうこいつは育てる甲斐がないと思ったら、叱ってくれなくなる”
なんて、私の世代には結構スルッと入ってくるようなエピソードがてんこ盛りだったりします。
で、ちょっと前になりますが、今の職場で大学生と教員(講師、教授など)がない交ぜになっての宿泊研修があったのですが、その中で、教員が学生を叱るシーンにいくつか立ち会いました。叱られた側の学生が熱く反発していたのは“若さ”だなぁ、、なんて思いながらも、どちらかというと気になったのは、叱る側の教員も、その手法に大分差があるな、との点。
ただ悪い点だけを指摘し、頭ごなしに叱るだけの方もいれば、「誉めて、叱って、誉める」との“サンドウィッチ手法(話法?)”を意識されている方もおられ、学生への響き方が段違いに異なっていたからです。前者は若い教員(20-30代くらい)が、後者は年を重ねた教員(60-70代くらい)が該当していたかと思いますので、ある程度は世代にも依存しているのかもしれません。
興味深いのは、頭ごなしに叱るタイプの方ほど、後々で「言い過ぎたかな」「どうせ嫌われ役だから」的な、ある種の自虐的に感じる心情を述べられている方が多く、叱るのも胆力がいるよなぁ、、と。一方のサンドウィッチ手法を意識されていた方は、おそらくはその“先”まで意識されていて、学生であっても対等の一個人として見ていて、いい意味で突き放している部分もあるのかな、なんて風にも感じました。
正直、どちらがいいかはわかりません、受け手の個性にもかかわる部分があるでしょうから。でも経験則的には「誉めて、叱って、誉める」方が、結果的には相手に伝わったケースが多かったように感じています。ただ叱るのではなく、相手に伝わるように叱るには、なんてコトを考えさせられた一景でした。
ちなみに宿泊研修ですが、、“研修”といいつつも、BBQとかハイキングとかキャンプファイアとかで、楽しんでまいりました。教職系の資格を意識しているのもあると思いますが、こういったイベントを学校ぐるみでやっているのは、個人的には面白いなと感じています(大学にもなって?!なんて声があるのも確かですけど)、、なんて徒然に。