原子力論考(72)原発を作る動機は核武装だというよくある主張について
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本業は文書化能力向上コンサルタントですが、余技で原子力論考を書いている開米瑞浩です。
先ほど、あるビジネス情報サイトで、思わず目眩がしてくるような記事を読んだところで、あまりの衝撃(?)に久しぶりに原子力論考を書くことにしました。
その「目眩がしてくるような記事」の要点は、「原発保有国の隠れた本音は核武装である」というものです。まあ、これは反原発論ではよく登場する論点のひとつで珍しくもありません。私もこの話題は「原子力論考(27)発電用原子炉のプルトニウムで原爆は作れません」にて触れています。
したがって、普通なら「あ、それ、よくある陰謀論ですから」とスルーするところですが、先ほど読んだ某記事ではこの話題を別な筋立てであたかも一理あるかのように書いていました。そんなわけでこの原子力論考であらためて取り上げることにした次第です。
なお、「先ほど読んだ某記事」・・・・と特定せずに書くのは、要は個人を批判する気は無く、ロジックをつぶせれば良いからです。そのため、「それってこの記事のことですよね?」といったコメントいただいてもお答えしませんのであしからず。
で、本題ですが、某記事ではざっと次のようなロジックで、「原発を保有している国の隠れた本音は核武装である」という主張をしています。
(1)→(2) はいずれも妥当です。ここは問題なし。
(3) についてはおなじみのトンデモ論の一種で、原子力論考(27)で解説済み。発電用軽水炉の使用済み核燃料から原爆を作るのは現実には非常に困難です。
(4) はまったく関係ないとは言いませんが、実際のところ「通じる」というほどには通じません。(3)(4) を根拠に(5)を主張するのは無理筋です。
(4)→(5) のロジックはたとえて言うなら、「自動車と飛行機はいずれもガソリンエンジンで動く(1950年代ぐらいまでの話ですが)。つまり、自動車を作れる技術があれば、1ヶ月で実用的な飛行機を作ることができるのだ」と言っているようなものです。それぐらい無茶な話です。
というわけでここまで読んだ時点で思わず目眩がしてきて、この記事を書いているのは誰だろう? と著者プロフィールを見たら、某有名大学の教授でした。それも理系の、工学博士。
・・・まあ、世の中にはトンデモ言説をふりまく「教授」も掃いて捨てるほどいますから、とりあえず先進めましょう。
そんなわけで(2)(5)を理由に(6)、さらに(7)をその記事は主張していました。つまり、原発保有国の本音は核武装であり、「アメリカ主導の安全保障体制に頼れないか、頼りたくない国ほど原発が多くなる」という主旨の内容が書かれていました。
では具体的にどんな国がそれに該当するのでしょうか? という疑問が当然涌いてくるところです。その記事では次のような例が挙げられていました。
↑これはその記事の説明を整理して原発の保有が多い国、少ない国に分け、それぞれの「多い/少ない理由」をまとめたものです。あくまでも、「その記事」に書かれていたことをまとめたもので、それ以外のソースによる情報ではありませんのでご注意ください。ただし、国名の後ろの(58)のような数字は各国の原発保有数で、これは私が日本原子力産業協会の資料を元に追記しました。
なお、「評価なし」というのは、原発保有数が「多い/少ない」という評価をその記事中では下していない、という意味です。
では詳しく見ていきましょう。まず、フランスが58基とダントツで、これは「米国と一線を画す安全保障戦略をとっているからだ」という理由づけ。フランスと言えば長年NATOの軍事機構から脱退していたこともある国だということを知っていると、ここに「なるほど」と思ってしまうかもしれません。スイスも確かに「米国と一線を画す」武装中立路線の国として有名で、ますます説得力がありそうに見えることでしょう。
なるほど、そういうことか、という仮説を思いつくところまではいいのですが、その仮説が本当に妥当かどうかを異なる視点で検証せずに突っ走ってしまうのはいささか問題です。
率直に言えば、「米国と一線を画す安全保障戦略を取ってきた国には原発が多い」という仮説は筋悪もいいところです。
もしそれが正しいなら、日米安全保障条約下の日本にはなぜ原発が50基もあるのでしょうか。
また、19基あるイギリスを「少ない」と評価するのも不自然です。イギリスの場合は容量の小さい旧型機が多いので、基数の割には発電量は少ない、と言いたいのかもしれませんが。
まあ、フランスに比べて半分以下なのも確かですし、とりあえずイギリスの評価は「少ない」で良しとしましょう。しかしその場合、「安全保障戦略が米国と一体化」しているからというリクツよりも、もっとつじつまの合う説明が実は存在します。それは、
イギリスとノルウェー(原発ゼロ)には北海油田があったから
というものです。北海油田はイギリスとノルウェーの中間に存在する石油・ガス田地帯で、両国がその大半の権利を持っています。北海油田の開発は1960年に始まり、1980年代からイギリスは石油輸出国となりました。ちなみにイギリスからは石炭も産出します(1980年代には年間約1億トンの石炭を生産)。
一方、フランスにはそのような資源がなく、化石燃料のほぼすべてを輸入に頼っています。つまり、フランスにとってはエネルギー安全保障の観点からの原子力推進の必要性がイギリスよりもはるかに高かったわけです。
スウェーデン、フィンランド、ノルウェーという北欧三国の中でノルウェーだけが原発ゼロというのもそれで説明がつきます。
(まあ、ノルウェーの場合は原発立地に適した平地が少ないというのも理由でしょうが・・・)
ちなみに元の記事ではノルウェーについては言及なしでした。イタリア、ドイツについても言及なし。
ついでなのでイタリア、ドイツについて書いておくと、イタリアはチェルノブイリ事故後に4基の原発を閉鎖して現在は原発ゼロです。「つまりイタリアのような先進国でも脱原発できるということじゃないか!」と思うのは早計で、電力不足に悩むイタリアは原発大国のフランスから電力を輸入しています。また、イタリアは欧州南部なだけに暖房や給湯のためのエネルギー需要がイギリス、フランス、ドイツに比べて小さく、世帯あたりのエネルギー消費量が英独仏のざっと7割で済んでいます。また、高品質な電力を必要とする先端工業の比率がドイツに比べて低い国でもあります。
一方、ドイツは国内で産出する石炭、褐炭で火力発電所をまかなっていて、こちらもフランスに比べるとエネルギー安全保障面の事情がゆるい国です。にもかかわらずイタリア同様、フランスから電力を輸入していますが。
さて、というわけで「アメリカ主導の安全保障体制に頼れないか、頼りたくない国ほど原発が多くなる。その真意は核武装だ」というのはトンデモ説もいいところなのですが、最後にもう一つ、その記事で主張されていた説を紹介しましょう。
それは、「原発は本当は経済的なものではなく、隠れた本音は核武装だ」というロジックを前提に、では「国家の政策として原発を保有することを国民にどう説明するか?」という点で日独伊と他国の間では違いがあった、という主張です。
要は、「原発は核武装を視野に入れた『力の外交』のために必要な材料である、ということが日独伊以外では国民の間に暗黙の了解がある」という主張です。それに対して、日独伊は「第二次大戦の敗戦国であり、国民が『力の外交』を毛嫌いしている。だから、日独伊では『経済性』を軸に原発保有を説明してこざるを得なかった」・・・・とまあ、そういう主張をしていたわけです。
いやはやもう目眩がするというか絶句するレベルというか・・・・
もはや論評する気も無くなるような主張なので、ここはこれでそっとしておくことにします。
というわけで、たまたま目にとまったトンデモ論説の話を書いてきましたが、いったいなぜこんなトンデモ論になってしまったのか、を振り返って見てみると、だいたいこんな流れではないかと思われます。
「有力な仮説を思いつ」いたとしてもそれはあくまで仮説なのですから、実際に成り立っているかどうかは多角的に検証されなければなりません。そこで、「その仮説を支持する材料を探す」・・・ところまでは良いとして、どうもそこにとどまらず「仮説に沿ってロジックをこじつけ」てしまい、そのコジツケに自分で納得して客観的な根拠のように錯覚してしまう、というそんなワナにはまっているようです。
ちなみにこういうパターン、教授だろうと社長だろうと関係なく、はまる人は知識水準に関係なくはまってしまいます。「ロジカルシンキング」を学べば大丈夫、と思いたいですが、私は有名なビジネススクールでロジカルシンキング講座を担当していた人物(複数名)も同じワナにはまっているのを見たことがあります。
だいたい、私自身はこういう失敗をしないか、と言えば、・・・・するんですよね。
思うにこういう「思考のワナ」は、知識水準とか思考力が高ければ避けられる、というようなものではなく、心理状態次第で誰でも陥るものなのでしょう。
そんなわけで、かなりのトンデモ言説ではありましたが、それをトンデモと馬鹿にするのではなく、こういうトンデモは誰でもやってしまうことがある、もちろん自分自身も・・・・と、自戒の材料にしたいものです。
それができれば、しくじっても気がつき次第訂正できるし、それでいいのではないでしょうか。
というわけで開米は原発の即時再稼働を強く主張する次第です。
先ほど、あるビジネス情報サイトで、思わず目眩がしてくるような記事を読んだところで、あまりの衝撃(?)に久しぶりに原子力論考を書くことにしました。
その「目眩がしてくるような記事」の要点は、「原発保有国の隠れた本音は核武装である」というものです。まあ、これは反原発論ではよく登場する論点のひとつで珍しくもありません。私もこの話題は「原子力論考(27)発電用原子炉のプルトニウムで原爆は作れません」にて触れています。
したがって、普通なら「あ、それ、よくある陰謀論ですから」とスルーするところですが、先ほど読んだ某記事ではこの話題を別な筋立てであたかも一理あるかのように書いていました。そんなわけでこの原子力論考であらためて取り上げることにした次第です。
なお、「先ほど読んだ某記事」・・・・と特定せずに書くのは、要は個人を批判する気は無く、ロジックをつぶせれば良いからです。そのため、「それってこの記事のことですよね?」といったコメントいただいてもお答えしませんのであしからず。
で、本題ですが、某記事ではざっと次のようなロジックで、「原発を保有している国の隠れた本音は核武装である」という主張をしています。
(1)→(2) はいずれも妥当です。ここは問題なし。
(3) についてはおなじみのトンデモ論の一種で、原子力論考(27)で解説済み。発電用軽水炉の使用済み核燃料から原爆を作るのは現実には非常に困難です。
(4) はまったく関係ないとは言いませんが、実際のところ「通じる」というほどには通じません。(3)(4) を根拠に(5)を主張するのは無理筋です。
(4)→(5) のロジックはたとえて言うなら、「自動車と飛行機はいずれもガソリンエンジンで動く(1950年代ぐらいまでの話ですが)。つまり、自動車を作れる技術があれば、1ヶ月で実用的な飛行機を作ることができるのだ」と言っているようなものです。それぐらい無茶な話です。
というわけでここまで読んだ時点で思わず目眩がしてきて、この記事を書いているのは誰だろう? と著者プロフィールを見たら、某有名大学の教授でした。それも理系の、工学博士。
・・・まあ、世の中にはトンデモ言説をふりまく「教授」も掃いて捨てるほどいますから、とりあえず先進めましょう。
そんなわけで(2)(5)を理由に(6)、さらに(7)をその記事は主張していました。つまり、原発保有国の本音は核武装であり、「アメリカ主導の安全保障体制に頼れないか、頼りたくない国ほど原発が多くなる」という主旨の内容が書かれていました。
では具体的にどんな国がそれに該当するのでしょうか? という疑問が当然涌いてくるところです。その記事では次のような例が挙げられていました。
↑これはその記事の説明を整理して原発の保有が多い国、少ない国に分け、それぞれの「多い/少ない理由」をまとめたものです。あくまでも、「その記事」に書かれていたことをまとめたもので、それ以外のソースによる情報ではありませんのでご注意ください。ただし、国名の後ろの(58)のような数字は各国の原発保有数で、これは私が日本原子力産業協会の資料を元に追記しました。
なお、「評価なし」というのは、原発保有数が「多い/少ない」という評価をその記事中では下していない、という意味です。
では詳しく見ていきましょう。まず、フランスが58基とダントツで、これは「米国と一線を画す安全保障戦略をとっているからだ」という理由づけ。フランスと言えば長年NATOの軍事機構から脱退していたこともある国だということを知っていると、ここに「なるほど」と思ってしまうかもしれません。スイスも確かに「米国と一線を画す」武装中立路線の国として有名で、ますます説得力がありそうに見えることでしょう。
なるほど、そういうことか、という仮説を思いつくところまではいいのですが、その仮説が本当に妥当かどうかを異なる視点で検証せずに突っ走ってしまうのはいささか問題です。
率直に言えば、「米国と一線を画す安全保障戦略を取ってきた国には原発が多い」という仮説は筋悪もいいところです。
もしそれが正しいなら、日米安全保障条約下の日本にはなぜ原発が50基もあるのでしょうか。
また、19基あるイギリスを「少ない」と評価するのも不自然です。イギリスの場合は容量の小さい旧型機が多いので、基数の割には発電量は少ない、と言いたいのかもしれませんが。
まあ、フランスに比べて半分以下なのも確かですし、とりあえずイギリスの評価は「少ない」で良しとしましょう。しかしその場合、「安全保障戦略が米国と一体化」しているからというリクツよりも、もっとつじつまの合う説明が実は存在します。それは、
イギリスとノルウェー(原発ゼロ)には北海油田があったから
というものです。北海油田はイギリスとノルウェーの中間に存在する石油・ガス田地帯で、両国がその大半の権利を持っています。北海油田の開発は1960年に始まり、1980年代からイギリスは石油輸出国となりました。ちなみにイギリスからは石炭も産出します(1980年代には年間約1億トンの石炭を生産)。
一方、フランスにはそのような資源がなく、化石燃料のほぼすべてを輸入に頼っています。つまり、フランスにとってはエネルギー安全保障の観点からの原子力推進の必要性がイギリスよりもはるかに高かったわけです。
スウェーデン、フィンランド、ノルウェーという北欧三国の中でノルウェーだけが原発ゼロというのもそれで説明がつきます。
(まあ、ノルウェーの場合は原発立地に適した平地が少ないというのも理由でしょうが・・・)
ちなみに元の記事ではノルウェーについては言及なしでした。イタリア、ドイツについても言及なし。
ついでなのでイタリア、ドイツについて書いておくと、イタリアはチェルノブイリ事故後に4基の原発を閉鎖して現在は原発ゼロです。「つまりイタリアのような先進国でも脱原発できるということじゃないか!」と思うのは早計で、電力不足に悩むイタリアは原発大国のフランスから電力を輸入しています。また、イタリアは欧州南部なだけに暖房や給湯のためのエネルギー需要がイギリス、フランス、ドイツに比べて小さく、世帯あたりのエネルギー消費量が英独仏のざっと7割で済んでいます。また、高品質な電力を必要とする先端工業の比率がドイツに比べて低い国でもあります。
一方、ドイツは国内で産出する石炭、褐炭で火力発電所をまかなっていて、こちらもフランスに比べるとエネルギー安全保障面の事情がゆるい国です。にもかかわらずイタリア同様、フランスから電力を輸入していますが。
さて、というわけで「アメリカ主導の安全保障体制に頼れないか、頼りたくない国ほど原発が多くなる。その真意は核武装だ」というのはトンデモ説もいいところなのですが、最後にもう一つ、その記事で主張されていた説を紹介しましょう。
それは、「原発は本当は経済的なものではなく、隠れた本音は核武装だ」というロジックを前提に、では「国家の政策として原発を保有することを国民にどう説明するか?」という点で日独伊と他国の間では違いがあった、という主張です。
要は、「原発は核武装を視野に入れた『力の外交』のために必要な材料である、ということが日独伊以外では国民の間に暗黙の了解がある」という主張です。それに対して、日独伊は「第二次大戦の敗戦国であり、国民が『力の外交』を毛嫌いしている。だから、日独伊では『経済性』を軸に原発保有を説明してこざるを得なかった」・・・・とまあ、そういう主張をしていたわけです。
いやはやもう目眩がするというか絶句するレベルというか・・・・
もはや論評する気も無くなるような主張なので、ここはこれでそっとしておくことにします。
というわけで、たまたま目にとまったトンデモ論説の話を書いてきましたが、いったいなぜこんなトンデモ論になってしまったのか、を振り返って見てみると、だいたいこんな流れではないかと思われます。
「有力な仮説を思いつ」いたとしてもそれはあくまで仮説なのですから、実際に成り立っているかどうかは多角的に検証されなければなりません。そこで、「その仮説を支持する材料を探す」・・・ところまでは良いとして、どうもそこにとどまらず「仮説に沿ってロジックをこじつけ」てしまい、そのコジツケに自分で納得して客観的な根拠のように錯覚してしまう、というそんなワナにはまっているようです。
ちなみにこういうパターン、教授だろうと社長だろうと関係なく、はまる人は知識水準に関係なくはまってしまいます。「ロジカルシンキング」を学べば大丈夫、と思いたいですが、私は有名なビジネススクールでロジカルシンキング講座を担当していた人物(複数名)も同じワナにはまっているのを見たことがあります。
だいたい、私自身はこういう失敗をしないか、と言えば、・・・・するんですよね。
思うにこういう「思考のワナ」は、知識水準とか思考力が高ければ避けられる、というようなものではなく、心理状態次第で誰でも陥るものなのでしょう。
そんなわけで、かなりのトンデモ言説ではありましたが、それをトンデモと馬鹿にするのではなく、こういうトンデモは誰でもやってしまうことがある、もちろん自分自身も・・・・と、自戒の材料にしたいものです。
それができれば、しくじっても気がつき次第訂正できるし、それでいいのではないでしょうか。
というわけで開米は原発の即時再稼働を強く主張する次第です。
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