【レポート】能登半島地震の被災地のいま/2024年11月12日
早く行きたいと思っていましたが、なかなかきっかけが掴めずにいたのですが、金沢出張の機会を得たので、能登半島の先端、輪島まで足を伸ばしてみました。
2024年1月1日16時10分に、日本の石川県の能登半島地下16 kmで発生した地震の規模はМ7.6を記録し、輪島市と羽咋郡志賀町で最大震度7を観測しました。そんな輪島で被災し、潰れた家の中から這い出て九死に一生を得た輪島市三井町に済む野水克也さんを訪ねました。
彼は東日本大震災の時のボランティア仲間で、何度か三陸沿岸に出かけていました。そんな彼が、今度は自分が被災者となり、いまは、三井町の仮設住宅に住み、地域の復興活動に尽力しています。
発災から数日後、現地のリアルな「いま」の実情を知るために、彼と一緒にオンラインでのイベントを開催しました。その時の悲惨は、深く印象に残り、かねがね現地を見たいと思っていました。しかし、生き残ることに必死な時期であり、そもそも交通手段もなく、しばらく見送っていました。そして、状況が落ち着いたいま、やっとその機会を得ることができました。
そんな三井集落のいまの状況がこちらです。
解体工事が進んでいるとは言え、倒壊した家屋や倒壊は免れたものの建物が傾きもはや住むこともできず解体を待っている家屋も少なくありません。復興にはほど遠い状況です。野水さんによると、この地区では7割以上が自分の家に住めなくなっているとのことでした。
そんな三井の集落を歩いていると、プレハブの狭い仮設住宅の他に、外観もきれいに作られた木造・長屋タイプの集合住宅街が目にとまりました。「恒久住宅」と呼ばれ、2年間を期限として退去しなければならない一般の仮設住宅とは異なり、2年目以降も市営住宅として住み続けることを考えて作られています。
これは、「熊本モデル」とも呼ばれ、2016年の熊本地震の際、2年間で自立できない人も多く、そういう人たちが長期に生活できるようにと考案されました。高齢者の多い地域では、とても良い取り組みだと思います。
輪島周辺は、全国的にみても高齢化率が高く、令和3年(2021年)3月1日現在、高齢化率は45.7%となっていました。震災以降、若い人たちの流出も進んでおり、また、一時避難で輪島を離れている人も多いことを考えると、現時点でのこの割合は、もっと高いのではないでしょうか。
三井から車で15分くらい走ると輪島の市街地です。こちらも被害は大きく、多くの家屋が倒壊していました。
解体は進んでいるとは言え、まだまだ生々しい被害の跡が残っています。7階建ての鉄筋コンクリートのビルが横倒しになっている光景も目にしました。
沿岸部にも足を伸ばしましたが、海岸には地震で海に崩れ落ちた夥しい量の材木が流れ着いていました。また、磯の岩は1〜2mほど白くなっている部分が見受けられ、隆起したことが窺われます。
そんなこの地域を9月に大雨が襲いました。こちらもまた大きな被害をもたらしました。私が目にして印象に残ったのは、能登市内の仮設住宅が洪水で浸水してしまった現場です。
全住民の7割ほどを収容するため仮設住宅を用意しなければならなかったわけですが、そんな土地を容易に見つけることはできません。それもあって、空いているところを見つけては、とにかく仮設住宅を立てていかなければ間に合いません。そこで、低地である耕作されていない広々とした水田跡地に多数の仮設住宅を建てたところもありました。
能登市街の川沿いにもそのような場所があり、そこは洪水で水浸しになったようで、大きな仮設住宅街は誰ひとりいない廃墟のようになっていました。
地震で生き延び、苦しく厳しい時間を生き延び、なんとか瓦礫の中から見つけ出した大切な品々を携えて、やっと雨露を凌げる仮住まいに入れたと思ったら、また、洪水でそこからも出て行かなくてはならなかったわけです。想像に絶する状況です。
そんな被災地にも善意の人たちの取り組みがあることは、ホッとします。
この写真は、三井にあるボランティア拠点です。もともとは、市の所有する施設を若い移住者が借り受け、古民家レストランを営業していました。震災後、そこをボランティア拠点にして、瓦礫の撤去や泥のかき出しなど、様々な支援活動を行う拠点となっています。
看板には「復興」ではなく、「復耕」と書かれています。なるほどと思いました。農村地帯ですから、畑や田んぼを耕せるようになって、始めて「復興」といえるわけで、これはなかなか良いネーミングだと感心しました。
しかし、東日本大震災の時もそうでしたが、様々な復興のための施策によって、解体や整地が進み、インフラや住宅などのハードウェアは改善していくでしょう。しかし、もともと過疎化が進んでいた地域は、その流れに歯止めがかかることはありません。むしろ10年かかるところが1年ほどに短縮されるほど加速されます。そして残る人たちは高齢者ばかりとなり、地域の活力は失われていきます。残念なことですが、この現実から逃れることはできません。
これは、決して「地方の問題」と捉えるべきではないでしょう。都市部もまた時間差で同様の問題を抱えることになります。この度の震災から学べることはいろいろとあるはずです。
そのためにも、現場に行って、感じることは大切なことです。もちろん半日程度の訪問で何かが分かったと言うつもりはありません。ただ、自分の中には、震災のリアルを少しばかり感じることが出来、これから続く復興プロセスで自分にできることを考えるきっかけだけは得られたと思っています。
金沢から能登へ向かう道路はボコボコで、なかなかスピードも出せず、カーナビの予想時間の倍以上かかりました。そこら中で工事が続けられています。それでもつながっているのです。
東日本の時も、熊本の時もそうでしたが、寸断された道路をつなぐことがどれほど大切かと言うことです。救援活動を行うにも、避難するにも道路がなくてはどうにもなりません。そのためにいち早く取り組まれた皆さんには頭が下がります。
仕事だからと言うだけでは、こんなに早くつながることはありません。そんな人たちが沢山いるということに感謝しなければなりません。私は、そんな国に住んでいることを誇りに思います。
自分にもできることはなにか、考えて、始めたいと思います。
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