ChatGPTが目指すオペレーティング・エージェントの覇権
Microsoftは、1981年にMS-DOSをリリースし、その後、PC OSで大きなシェアを握りました。まだこの時代は、PCをネットワークに接続することは特別であり、限られたユーザーが、電話回線で音響カプラを使い2,400bpsや9,600bps程度で接続して情報をやり取りするパソコン通信をしていました。
1990年代に入りインターネットの時代が到来します。1993年、WebブラウザーのNCSA Mosaicリリースされ、インターネット利用者が急速に拡大、その後の普及の基礎を築きました。1995年、Microsoftは、最新のPC OSであるWindows95をリリースするにあたりインターネット接続のための通信機能を提供するソフトウエアとWebブラウザーのInternet Explorer(IE)を、有償オプションでとして提供しました。その後、標準機能となり、PC OSの圧倒的なシェアを活かしてユーザーとインターネットのやり取りをする窓口を掌握したのです。
インターネットの利用者は急増し、ホームページも増え、これを探すための電話帳(Yellow Page)が販売されるようになりました。しかし、急速に増加するホームページに印刷物であるYellow Pageに追いつくことは難しく、オンラインでのサービス(デイレクトリー・サービス)が登場します。
1998年、Googleは、ホームページの情報を自動収集し、独自のアルゴリズムで適切なホームページを紹介する検索エンジンの提供を始めました。ホームページの急増に対処するには、このような自動化は不可避であり、人手に頼るディレクトリー・サービスは、検索エンジンに置き換えられることとなりました。これにより、Googleは、インターネットの玄関/ポータルをMicrosoftにただ乗りするカタチで抑えることに成功したのです。
Googleは、2005年、Webブラウザー上でアプリケーションを実行できるAjax技術を使ってGoogle Mapをリリース、その後、様々なAjaxアプリケーションがリリースされるようになり、OSに依存せずにWebブラウザー上でアプリケーションが利用できる可能性が示しました。
当時、Microsoftは、PCにインストールするOSであるWindowsとOfficeが大きな収益源でした。OSにも依存せず、インストールの必要もないアプリの普及は、自社のソフトウエア販売を脅かす脅威でした。そのため、アプリケーション実行環境としての自社Webブラウザー IEの性能向上には、不熱心でした。
そんな状況に業を煮やしたGoogleは、2008年に独自のブラウザーであるChromeをリリース、その軽快さやアプリケーション実行環境としての性能の高さにより、IEのシェアを脅かす存在となったのです。また、2010年、Chromeを動かすことに特化したChrome OSをリリース、Gmailを含むGoogle Appsと呼ばれるオフィス・アプリケーション(いまのGoogle Suite)の充実にも取り組みました。
結果として、Webブラウザー、検索エンジン、オフィス・アプリケーション、エンドユーザーデバイスといったユーザーとインターネットをつなぐ玄関に於いて、Googleは大きなシェアを持つようになったのです。これにより、ユーザーの行動データを掌握できる好位置を手に入れることができました。
2007年、AppleがiPhoneをリリースしました。電話機として、あるいは、音楽プレーヤーとしても使える「携帯できるインターネット常時接続パソコン」、すなわち「スマートフォン」を世に出しました。これは、ユーザーが、iPhoneを操作して、送り出すデータだけではなく、これを持ち歩く人の位置情報や行動データといったデータも取得して送り出すデバイスとなりました。
2008年、Googleは自社が買収した企業の開発したスマートフォンOSのAndroidをオープンソースとして提供、自社のWebブラウザー、検索エンジンと抱き合わせて、この玄関を押さえる施策に出ました。Googleは2013年に自社開発のスマートフォン Pixleをリリースし、この戦略をさらに加速させています。
その後スマートフォンは、アプリケーション・マーケットであるApp StoreやGoogle Playを介して、無料や安価でアプリを導入できる仕組みを提供し、多様なカタチでユーザーの行動データを取得できる手段を手に入れたわけです。
2004年に登場したFacebook、2006年のTwitter、2010年のInstagramなどのソーシャル・メディアもまたユーザーの行動データを取得できる手段として、広く定着してゆくことになります。
2014年、Amazonが、音声という身近なユーザー・インターフェイスでネットのサービスを利用できるソフトウェアAlexaをリリース、これを搭載したデバイスの販売を始めました。これは、今ひとつ普及はしなかったのですが、これもネットの玄関を抑える戦略の1つです。また、2015年、Appleは、Apple Watchを発表し、常時身体に装着するデバイスとして、ユーザーの行動データや身体データをきめ細かく常時取得する手段となりました。
これら一連のトレンドの背景には、「ネットワークを行き交うデータを広範かつ大規模に取得することが、社会における覇権を握る」という考え方です。事実、この考え方を徹底して推し進めることで、GAFAMなどのビッグテック達は、業績を拡大させ、社会における大きな影響力を手にすることができました。そのために「データ取得のフロントエンド」を手に入れることは、大きな戦略的な価値を持つようになったのです。
OpenAIのChatGPTもまた、このシナリオに沿って機能やサービスの充実を図っているようです。ただの賢いチャット・ボットではないということです。
ChatGPTの魅力は、以下の2つです。
ひとつは、とても流暢に対話できる「ユーザー・インターフェイス(UI)」を備えていることです。情報の収集や整理、専門家的アドバイスの提供、ドキュメンテーションの支援、画像や図表の生成、プログラム・コードの生成などを、普段、日常で使っている自然な言葉を使って、対話的に、あるいは、指示命令的に使えることです。これに音声認識・テキスト変換の機能も加わり、優秀な専任秘書に話しかけて指示すれば、作業をこなしてくれるようになりました。
この圧倒的な「日常的普通感覚」で利用できるUIだからこそ、ユーザーの支持を得て短期間のうちに普及したわけです。PCやスマホのGUIは、その操作手順を知らなければ、うまく使えません。AmazonのAlexaも、予め用意された会話パターンに対応した指示ができればうまくいくのですが、「日常的普通感覚」で、対話的に利用することはできません。一方、ChatGPTは、まるで本当の人間のコンシェルジュがデバイスの向こうにいて応対してくれるような、これまでのUIを凌駕する圧倒的な、「日常的普通感覚」で、サービスを利用できるところが、利用者の拡大を促しています。
もうひとつの魅力は、「オペレーティング・エージェント」であるということです。
ご存知のように、コンピューターは、「OS」すなわち「オペレーティング・システム」が搭載されています。OSの起源をたどれば、「DOS」すなわち「Disk Operating System」と呼ばれるものです。ユーザーがハードディスクへの読み書きをする際に、物理的な位置に順序などを詳細に指定しなくても、人間にとって分かりやすいファイル名やディレクトリー名を指定するだけで、操作できるようにしてくれました。人間がハードディスクの物理構造を知らなくても、代行してやってくれることで、コンピューターを操作する利便性が高まりました。その後、データの入出力操作や通信機能などの物理的な機器との接続やプログラムの実行などでも、ユーザーが細かい指定や指示をしなくても、人間にわかりやすい操作、例えば、コマンドやアイコンの操作などを行えば、コンピューターを動かす上で必要とする詳細な指定や命令に最適化して実行してくれるOSへと進化したわけです。もはや人間は、OSの介在なしにコンピューターを操作することはありません。
「オペレーティング・エージェント」は、このOSの上位に介在し、人間にとって分かりやすい自然言語によって指示や命令を出せば、その意図をくみ取り、あるいは対話的に意図を確認し、最適な指示や命令に変換して、コンピューターやアプリーション、ネットサービスを操作してくれる役割を果たしてくれるのです。これにより、それら個別の操作に熟知していなくても、使いこなすことが容易になるわけです。ChatGPTが、現時点で「オペレーティング・エイジェント(OA)=操作代行者」になっているわけではありませんが、そのポジョンを狙っていると言えるでしょう。
私たちは将来、OSの種類やサービスの所在、言語の違いなどを気にすることなく、自分の知りたいこと、解決したいことをOAに自然な言語で問えば、ふさわしい情報を見繕い、組み合わせて、答えてくれるようになり、また、必要なサービスや機器の操作も同様に、その使い方を知らなくてもできるようになります。
これは、ブラウザーや検索エンジンを置き換えて、インターネットの玄関を抑えるだけではなく家電製品や住宅機器、機械や設備のOAとしても機能するようになります。誰もが、自分に最適化された個人秘書や執事を手に入れることになります。ChatGPTは、そんなポジションを狙うOpenAIの戦略の一環と捉えることができるのです。
MicrosoftがOpenAIに莫大な資金援助を行い、自社製品への組み込みを積極的に進めている一連の動きは、まさにこの「オペレーティング・エイジェント」としての地位を手に入れる戦略的な意図があるからです。
いまでこそ、ChatGPTを使いこなすには、個人的なスキルが必要です。しかし、Github CopilotやCopilot for Office365のように特定業務に特化した組み込みAIにより、用途を限定することで、その範囲の中で使いやすさを向上させてくるはずです。さらには、「オペレーティング・エージェント」としての役割を進化させ、ユーザーの曖昧さをもうまく解釈し、処理してくれるようになリ、その利便性は一層高まるはずです。人がITに寄り添わなければならなかった時代から、ITが人に寄り添ってくれる時代に、なりつつあるのです。
また、一連のAI機能が業務アプリケーションの深いレベルで組み込まれ、ユーザーがこれを使っていることを意識することなく、個人のスキルにも依存しない、利用形態が拡がっていくはずです。さらに自動車や家電製品、設備などにも組み込まれ、私たちはごく自然な対話で機械を操作できるようになるでしょう。既にこのシナリオに沿った製品開発を進めている企業もあるようです。つまり、モノにも「オペレーティング・エージェント」を組み込み、人間に代わって複雑な操作を代行しさせようというものです。いまのモノは、ソフトウエアが機能を実現し、OSも搭載されていますから、これもまた自然の成り行きです。
さらに、My GPTsを使えば、コーディングなしで自分オリジナルのChatGPTアプリケーションを作成できます。こうして作られたオリジナル・アプリをアプリ・マーケットで販売できるようになります。これにより、OpenAIとしては、新しい収益モデルを構築できるだけではなく、このエコシステムにより、様々なGPTアプリケーションが創発的に生みだされて利用シーンが拡大し、広く流通するようになれば、より広範なユーザーから多様なデータが手に入るようになり、「データ取得のフロントエンド」の戦略基盤は、確固たるものになるはずです。
もちろん、現状は過渡期であり、技術の発展が指数関数的なスピードで繰り広げられる中、OpenAI×Microsoftのシナリオ通りに行くという保証はありません。GoogleやAmazon、Metaといったプラットフォーマーが、同様の地位を手に入れようと動き出しています。いままさに「オペレーティング・エージェント」の覇権を誰が握るかの戦いが始まっています。
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斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー