人の記憶に残る事
龍馬本関連でまた一冊。
『わが夫 坂本龍馬 おりょう聞書き』という、
龍馬の嫁さんおりょうが龍馬の死後、維新後に話したものをまとめた本。
一個人の証言なので主観的な部分が多々見えるが
(江戸時代の龍馬の恋人、千葉さなのことを悪く言ったり、海援隊士の中にも彼女の好き嫌いがあったり、
それはそれで面白いが)、
晩年の龍馬と行動をともにしているおりょうさんの聞書きであるから、
そのころの龍馬とその周辺の行動を知る良い材料となる。
女性目線での語りだからか、ほかの龍馬本とはちょっと違うのは割とプライベートな龍馬についての言及が多くある点であろう。
脱藩している身で京都で変装をして祇園にのみに出かけてみたり、
嫁さんと船の上でピストルを撃って遊んだり、
龍馬もおりょうもやんちゃな感覚が満載なのがわかる。
今の日本に不足している要素の一つではないだろうか。
龍馬は当時の交通状況においては非常に移動距離の多い人物だと思うが、
脱藩罪であったり倒幕活動を行う反逆者としてお尋ね者の身でありながら、
これだけの行動をとっている事にあらためて驚かされる。
普通の感覚であればどこか安全なところでひっそりと縮こまっても仕方がない状況だろうが、
そういう状況を押してでもこれだけの活動が出来たのは、
よく龍馬関連で言われるキーワード「志」のためだったのか、
自分が面白いからやっていたのか、どちらなのだろうか。
寺田屋で襲撃され九死に一生を得た後は、
薩摩の庇護を受けながらも、
おりょうをともなって霧島連山を旅行をしたりしている
(俗に日本初のハネムーンなどといわれているが異説もあり)。
おりょうは晩年いろいろと経済面で苦労が多かったようだが、
本心では京都で龍馬の墓守がしたかったと話している。
本書の締めくくりのところの記載は胸を打つ。
「龍馬が生きておったら、またなにとか面白い事もあったでしょうが、、、、
これが運命というものでしょう。死んだのは昨日のように思いますが、早33年になりました。」
死後、人の記憶に残るというのは幸せな事だと最近つくづく思う。
ドラマチックで面白い本だった。
#ところで「人が本当に死ぬのは忘れられた時だ」
#みたいな名言があった気がしてたのでしらべたら、
#出典は『ワンピース』っだったみたい。
#読んでないのになんで知ってるんだろうか?