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会社がなすべき当たり前のこと、人がなすべき当たり前のことでありながら、多くの人ができていないことを、いかに行うかを考えるきっかけになればと思います。高杉晋作の辞世の句でもある「おもしろき こともなき世を おもしろく」をブログ名に、日々普通に起こっている会社や社会での出来事を、いかに考え対応すべきかという視点で書いていきたいと思います。

人を受け入れない人の思考法

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 歴史を紐解くと、家臣の意見を受け入れずに敗北する人の話は多い。多くの英雄は、周囲の意見を聴く耳を持っている。周囲の意見を聴くといっても、側近や同志だけでなく、下働きの者の意見すら聴き入れ、自らの糧とし、人生を成功へと導いている。

 人の話を聴くということは、人を受け入れるということであり、ここでは、聴くだけではなく、受け入れるという少し大きな範疇で考えていきたい。

 人を受けれ入れない人というのは、なぜそうするのか?
1)自分の中に答えが既にある
2)自分の中に答えがないが、
 a)自分の嗜好しか考えない
 b) そもそも相手にしていない
に大別される。

 これらはいずれにせよ、大きな問題がある。
 答えが自分の中にあるからとはいえ、それが必ずしも正しいとは限らず、なるべく多くの可能性を頭に入れた上で結論を出したほうが、ベターな結論がでるだろうことは、当然のことだ。直感が正しいという人もいる。確かに直感というのは大事なものだと思うが、それを柱にしながら、多少周りの意見を聴くことがあっても、時間的にも労力的にも大した差はない。であれば、周囲の意見は聴いた方が当然よい。

 そもそも、意見をいう人を相手にしていないということであれば、聴かないのは当然のことだろう。しかし、新卒でも、その従属する仕事や組織、商売のことを知らないが故に、正論を吐く場合はある。お客さんにより近い存在とも言える。より客観的な意見を聴かないということは、主観的にしか物事が見えていない証拠と言える。

 自分の嗜好だけで物事を考える人は、破滅的な人と言える。自分だけの趣味など、自分しか影響がないことであれば、それでいいが、家族や同僚、社員、友など、周囲の人を巻き込む、また、周囲の人を害する場合は、あってはならないこととなる。例えば、こういう人が社長の会社に所属するなら、すぐに退職することをオススメする。また、こういう人が友であるなら、遠く離れることをオススメする。

 「三国志」の英雄の一人、劉備玄徳は諸葛亮孔明の意見を聴き入れず、自分の嗜好を優先したが故に、戦いに破れ、白帝城において死ぬこととなる。その後、劉備が建てた蜀という国は、三国で最初に敗れ去ることになる。

 「項羽と劉邦」の項羽は、あまりにもスーパーすぎた。項羽は、自分に自信がありすぎ、周りを軽視しすぎた。だから、人がついて来ない。圧倒的有利な状況でありながら、項羽は劉邦に敗れ去る。自分の中に答えがあり、周りを相手にしていなかったが故の結果だ。頭もよく、武力も圧倒的で、皇帝になれた存在が、四面楚歌という故事を残して、ほとんど伴も連れずに、死ぬことになる。

 人を受け入れない人というのは、歴史を振り返るまでもなく、どういう場合にせよ、大した人物ではない。人を受け入れるだけの余裕すらないとも言える。身近なことで言えば、こういう人が、既読スルーなどという、おおよそ、人としてやってはならないことを、当たり前のようにするのだ。こういう人が周りにいるのであれば、自分から離れた方がよい。自分が、よき人であろうと思えば、大きな人になりたいと思えば、人から慕われる存在になりたければ、「人を受け入れる」という、簡単なことを当たり前にできるように、毎日毎日振り返り、反省をすることだ。そうしてれば、そのうち、確実に人を受け入れられるようになる。

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