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常々感じてきた、ある"違和感"

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 ブログの趣旨もへったくれもなく、なにしろ毎度のことながら不満ばかり書いている気がしている今日この頃。これもトシのせいか?などと呟いたら、10歳年上の知人に「アホか!」と言われた。合間に音楽や映像ソフトの紹介をしてみても、この文句タレなキャラは拭い切れそうにない。

 それでもやっぱり変だなぁと思うことは、どうしても口から出てきてしまう。毎日、ニュースをネタに批判ばかり書いている友達に、そんなに不満ばかりで気が滅入らないかと思ったこともあったが、今じゃ僕も同じような立ち位置にいる。

今でも不思議なライブドア事件

 先日、ライブドアホールディングスが、堀江貴文被告に対して損害賠償訴訟を起こすというニュースがあった。もちろん、市場でたくさんの金を集めておいて、中身が空っぽだったなんて異常事態を直接引き起こした張本人なのだから、損害は賠償すべきでしょう。法律は正直専門じゃないからよくわからないけれど、今の彼の資産は嘘で集めたものなのだから、そもそも堀江被告のものじゃないしねぇ。

 でも僕が感じている違和感は、もっと別のところにある。これはライブドアだけでなく、一時の光通信や、あまたの数が存在した虚業カンパニーにも言えるのだけど、どう考えても評価できる部分が存在しないのに、なんであんなに人は無謀な投資をするのか?ということ。

 もちろん、よく分からないけど有望そうだし、マスコミも取り上げているから成長するだろう、なんてことを感じていただろうことはよく分かるのだけど、ちょっと考えれば何かがオカシイと気付くと思うんだけどなぁ。

 ライブドアに関して言えば、急成長を続けている時期、彼らがやっていたことには何らオリジナリティはなかったし、しかも同じタイプのコンテンツなら、同業他社より明らかに品質が劣るものがほとんどだった。誰でもタダで使えていたのだから、自分自身で確認できたハズ。しかも、買収した企業そのものは、結構いいところもあったのだけど、集めている資金の割にはライブドアのポータル事業は開発が進んでいなかった。

 だから、あの頃はずいぶんライブドアって変だとか、あそこの事業はオカシイ。中身が全く伴っていないと書いたのだけど、そのたびに外野から「根拠のないことを言うな!」とのメールを何通も受け取ったものだ。マジメに相手をしてみると、抗議メールはライブドア社員の工作などではなく(笑)、ライブドアにたくさん投資をしている人たちだった。上昇基調の株価に水を差すなということだったのだろうか。そんな影響力があるとは思わないのだが。

 ここで気になっているのは、"自分の専門分野(あるいはそれに近い"ことだけでも、今までにたくさんの似たような事例があるのだから、もしかすると他の業界でも、似たようなアホみたいな理由で投資が集まり、それを利用して虚業であることを隠しながら、なんとか見つかる前に取り繕うなんて会社が結構あるのかしらん?ということ。

 世の中には仕事の内容や、仕事のやりがいなんてことに全く興味が無く、お金さえ儲かれば、あとは友達を捨てても金を持って逃げればいいや、程度に思っている(としか思えない)とんでもない人たちがいる。

 IT業界でいうと、2000年から2002年ぐらいの間だったろうか。もう少し後だったかなぁ、ITバブルと言われた時期に、金だけ集めて使うだけ使い「ハイ!さよならね~」と去っていた人もいました。一度、IT起業家の集まりとかでパーティに呼ばれた時、自らの企業の持つ価値やビジョンなんか話題にはほとんど出ず、金の集め方(たとえば死にそうな資産家の相続者ばかりを集めて投資をさせるとか。そうすることで、一時的に資産評価が未公開の額面通りの金額でしか評価されなくなるので、IPOまでの間に資産家が死ねば税金を逃れられるとか、そういう話。今でも使える手なのかどうかは知らないけれど)みたいなとばかり話していて気持ち悪くなり、1回しか出席しなかった。

 そういう会には、決まって一緒に仕事をするふりをして、IPOのおこぼれにあずかろうとする人たちも集まってくる。結構頭がいい人たちだけど、でも事業の本質的な部分にあまり興味がないから、虚業ブラザーズだってすぐにわかる。

 何回同じことを繰り返しても、やっぱりそのうち忘れて、同じようなことがあるんだろうか。う~ん。

CO2削減に関する不思議

 昨今のCO2削減ブーム。世界的に盛り上がっているように思えるし、ゴア元副大統領の衝撃的なプレゼンも印象的だったけれど、なんか違和感がある。この違和感、不公平感はなんなのだろう?もちろん、新聞などではいろいろなことが書かれているけれど、どれも決定打に欠ける。

 なんて思っていたら、養老孟司さんがVoiceに書いているコラムを見て「あ、コレだよ、コレ」と、自分の感じていた違和感と重複する主張がされていた。ちょっと極端に言えば、"CO2対策で温暖化防止しましょう"と呼びかけている人のやりたいことは、決してCO2削減などではない"ということだ。

 だいたい、人類共通のプラットフォームである地球を守ろうというのなら、人類みな平等に同じように、その恩恵を享受してしかるべきだと思うのだけど、決して一人あたりのCO2排出量を決めようなんて議論にならないのは変だ。

 日本人の4倍のCO2を出しているアメリカ人と同じように”削減”なんか話し合ったって、意味がないんじゃないだろうかと。もちろん、誰も文句が言えないから放置プレイ状態なのだろうけど。

 もちろん、CO2をガンガン排出しましょうなんてキャンペーンをしたいわけじゃないけれど、地球全体のことを考えるなら、自己満足の削減じゃなくて、本当の意味でCO2を減らす議論をしてほしい。

 と、言いつつ、このお盆ウィーク、15日は10時間で100リッターのガソリンを消費し、CO2をばらまいてきます(知っている人は知っている、軽四輪で行うレース競技--- いや、ほとんどエコラン競技か? --- のK4-GPへの出場。でもね。10時間、富士のフルコースを走って平均燃費はリッター10キロの制限。無尽蔵にガソリンを使うわけじゃないので許して)。文句ばかりで自分はなにやっとんじゃ!とお怒りの方。ごめんなさい。でも、そういう精神論じゃないと思うのです。

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