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名もなき歌手たちの物語

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今から20年ほど前のことです。
友人に連れられて、ちょっとしたステージがあるカラオケパブに行きました。
そこには、当時50〜60歳くらいの、少し小粋な男性がホールスタッフとして働いていました。

少し打ち解けて話していると、彼が突然おどろくようなことを言いました。
「私、実はアニメの『〇〇〇〇〇〇』の主題歌を歌ってたんです!」

『〇〇〇〇〇〇』といえば、私の世代の男子なら誰もが知っているヒーローもののアニメ。
思わず「えっ?!」と声をあげてしまいました。
しかしすぐに、「あれは水木一郎さんのはずだ」と思い出し、
「でも、あの歌は水木一郎さんでしょ?」と尋ねると、
彼は真剣な目で私に言いました。

「アニメは彼、レコードは私です!」

そのまなざしに、私は「この店ではそういう触れ込みで働いているのだろう」と察し、
「へえ、すごいですねえ」とだけ答えて、その場を流しました。

しばらくして店が盛り上がってくると、彼はステージに上がり、
あの『〇〇〇〇〇〇』の主題歌を大熱唱!
お客の中には彼を目当てに来ている人もいるのでしょう、店内は大いに沸き返りました。
確かに彼の歌は上手く、迫力もありました。
けれども、いくら似せて歌っても水木一郎氏その人ではない。
私はどうしても「なぜ...?」という違和感を拭えませんでした。

時が過ぎて、その出来事をすっかり忘れていたある日、
1970〜80年代にかけて、有名曲をクレジットのない無名歌手によって
吹き込まれたカセットテープが大量に売られていたことを知りました。
その中にはアニメソング集も数多くあったのです。

さらに調べていくと、子供向けの雑誌の付録として、
アニメ主題歌を収録したソノシートが配布されていたことも分かりました。
もちろんオリジナル歌手のものも収録されていましたが、
無名の歌手たちが"本物そっくり"に歌っていたものも少なくなかったのです。

そのとき、ようやく彼の言葉が線としてつながりました。
おそらく彼は、そうしたスタジオ歌手(カバー歌手)の一人だったのでしょう。
水木一郎氏の代わりに大ヒットアニメの主題歌を歌ったことは、
彼にとって誇らしく、人生の小さな勲章だったのかもしれません。

これは想像ですが、きっと彼は、若い頃に歌手を志していた。
夢は破れたけれど、あの録音だけは人生で一度だけの「本番」だった。
その誇りが、彼を今もマイクの前に立たせているのだと思います。
もしかすると、今もどこかで、
「〇〇〇〇〇〇!」と叫びながら歌っているのかもしれません。
それはそれで、素敵なことだと思います。

さて、近年ではこうした"無名の歌手たち"の吹き込み商品は
ほとんど見かけなくなりました。
けれど、彼らの活躍の場が消えたわけではありません。
それが今の「歌入り(ガイドボーカル付き)カラオケ」です。
多くのカラオケ機器に入っている歌入り音源は、
今も人間の歌手が実際に歌っているのです。

近年はAIによるボーカル合成も始まっていますが、
まだまだ"名もなき歌手たち"が現役でマイクに向かっています。
さらに今は、YouTubeなどで自ら歌を発表し、
直接ファンを作ることもできる時代になりました。
クレジットも出ないまま埋もれていったあの頃より、
少しだけチャンスの多い時代になったのかもしれません。

このように、華やかなエンターテインメントの世界の裏には、
いつの時代にも、光の当たらない名もなきエンターテイナーたちがいます。
その人たちの声が、誰かの心を照らしていたことを、
時には思い出してみてもいいのではないでしょうか。

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