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石巻の夜(中編)(持続的な成長を目指すために)

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日和山から臨む北上川の中州 さて、前編にも登場した友人Yは、もともと肉嫌いでありながら、かつて相撲部屋からスカウトもされたほどの体格で、また切れ者。中学・高校時代には柔道班(部ではなく、班と呼称している学校だった)の誘いを断ってもらい、私が班長を務める理科系の地学班に入ってもらっています。絶対的な信頼感と安心感を常にもたらしてくれる男です。そして、彼とともにいると、上質な料理にもありつける...。

大川小から宿泊予定の石巻市街のホテルに戻り、その夜の食事処を探し始めました。しかし、事前にチェックしていたお店に電話をかけるも、どこもいっぱいだと言う。ここまで来て、チェーン店では味気ないし、5軒目を断られた時点で、Yとともに直接石巻駅前まで行き、現地で店を探すことにしました。


暗闇の商店街
小雨の振る中、通称マンガロードの立町(たちまち)商店街で店の灯りを求めて歩きます。わずかな区画を除いて、アーケードの照明は壊れたままのようで、6月の19時というのに夜中のような暗さです。その暗さの中、石ノ森章太郎のキャラクター像が点在する姿は異様な感じがしました。


立町商店街
ところどころ営業しているお店があり、その灯りで道が照らされています。
暗闇の中で灯りがあることのなんと心強いことか。商店街はボランティアの方々の懸命な支援もあって、とても綺麗になっていますが、照明は灯っていない。おそらく、津波で配線系統が故障しているのだとは思いますが、あれだけの義援金や復興予算が人を勇気づけるところに使われていないのでは、と思います。今振り返っても、この街の寂しさを象徴する商店街であったように思います(なお、立町復興ふれあい商店街として、仮設店舗群のある地区は別にあります)。

津波の影響で途中、下水のような臭いのする区画もあり、いまも残る震災の影響を体感しつつ、何かあるだろうと期待して前へ進みます。ようやく見つけたのは、場末とも言える位置にある、洒落た感じの焼き鳥屋さん鳥辰

それまで津波の被害が随所に残っている様子を見てきたので、綺麗な店内に逆に違和感を感じる程でした。値段のついていないメニューが出されときは、Yがどれだけ食べようとするのかと思いを馳せ、少々身構えましたが、30代半ばの男二人が値段をお店に聞くのも格好悪いので、覚悟して注文しました。
店主が寡黙に、一心不乱に鳥を焼く姿に期待値が高まります。事実、その期待を裏切らない味でした。いつの間にか、ま、いっか、美味いし色々注文しちゃえ、Yがいるし(?)。と思い、普段より多く注文していた気がします(結局のところ、平和な料金でした)。

震災翌日の様子を思い出すと、このようなお店が残り、営業を継続していることに嬉しくなります(参考:震災百景【震災被害】震災翌日の石巻市中心商店街(旧市街)

門脇地区へ
翌朝、若干寝不足な状態で(番外編参照)、ホテルを後にし、震災後に漏れた油で大規模な火災が発生した門脇地区へ向かいます(参考:東日本大震災 宮城県地区被害情報 石巻市南浜町・門脇地区)。
日和山から臨む門脇地区


こちらも海の方まで見通せるほど、平原と化した土地が拡がっています。焼けた門脇小学校はネットで覆われていました。全焼し、廃墟と化してしまった学校をこれ以上撮影する気にもなれず、写真はありませんが、目の前で見て言葉も出せなかったという状況でした。

この建物を残すかどうかは、とても難しい判断かと思います。私が思うに、この建物は震災の記憶を呼び起こす役割として機能していますが、この小学校を見て勇気づけられる人はいないように思います。解体を望む声がある一方、それでも、ほぼすべてのものが流された中で、せめてこの小学校だけでも残したい、という気持ちも卒業生の中にはあるようです。


日和山から臨む石巻市立病院
一方、1階天井まで津波が押し寄せたという石巻市立病院は、解体が始まっています(参考:YOMIURI ONLINE)。

周辺は道路が陥没していたり、腐った魚のせいか、チーズのような匂いがして、その場所には留まれないようなところもありました。道路の脇に立つ電柱も、100mに渡って、皆傾いていたり...。消防車を含め、解体を待つ自動車もまだ残っていました。
被災した車の置き場

この門脇地区も多くの方が亡くなり、体験談(参考:東日本大震災の記録 大津波の悲劇・惨劇の報道を追う 石巻を襲った大津波の証言・その1)を読むと胸がつまります。



ビッグデータの背景にある人間性への理解
がんばろう石巻 慰霊碑
2013年3月3日に放映されたNHKスペシャル「”いのちの記録”を未来へ ~震災ビッグデータ~」で取り上げられた、携帯電話の位置情報から、地震の瞬間から人がどういうふうに動いたのかという解析結果は衝撃的でした。やがて津波浸水区域となる場所の人口が、地震の瞬間よりも30分後、1時間後に増えている...。

家族を助けに仕事場から自宅に向かったという、まさに「いのちの記録」が残っていました。先ほどの門脇地区も決して例外ではないと思います。IT業界ではビッグデータと呼ばれる領域が注目されていますが、このケースは、そのデータの一つ一つがかけがえのないいのちの記録であり、人と人の愛情を示したデータです。
位置情報という無機質なデータの先にある人間性への理解とその行動に対する想像力が、やがてより良い未来へ結びつくのだと感じます。


日本製紙 石巻工場と白謙 蒲鉾店
日本製紙 石巻工場
この門脇地区で、「気炎」を吐いている工場がありました。昨年完全復旧した日本製紙 石巻工場です。石巻に来て最初に気づくのが大きな煙突から立ち上がる白煙。この復旧がどれだけ石巻の方々を勇気づけたのだろうかと想像します。

私自身は、紙を作るためにこれほど巨大な工場が必要になるのか、と初めて知ると同時に、震災当時の写真と比較すると、あの惨状からたった2年で完全復旧できるとは…と、驚きました。復旧への大変な努力があったと思いますが、平原と化したこの地区で、黙々と稼働を続けるこの力強い工場は、復興への強いメッセージを送っているように思います(参考:鹿島建設 March 2012:特集「復興の一翼を担って」)。
白謙 蒲鉾店

その後、白謙(しらけん)蒲鉾店の笹かまぼこをお土産にすべく、門脇工場の直売所へ。こちらも早く復旧した工場です。プレハブの直売所では、おばさま二人に対応していただき、実は白謙の笹かまをまだ食べたことがないと言うと、気軽に試食もさせてくれました。


後編へ続きます。

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