石巻の夜(前編)(持続的な成長を目指すために)
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昨年、仙台で会社の社会貢献活動に参加し、帰りに仙台空港まで足を伸ばしました。2011年の津波の際には、川の激流の中に空港が元々作られたのではないかと思うような映像が何度も流れていたのですが、自分の中には非現実感があり、その場所を自分の目で確かめたいと思っていました。
訪問時は震災から1年が経っていました。瓦礫は撤去され、所々、奇跡的に残った家はあるものの、空港の周りには広大な土地が拡がっていました。意図的に人が整地したのではないかと思えるくらい平らでした。
しかし、整地されたのではないと思わせる、半壊した家と、地面に残る引き潮の跡、砂の中に埋もれたうちの子どもも大好きな消防車のおもちゃを見るにつけ、多くのものが流されていったのだと気づきます。ただ、今はもう、荒々しい当時の濁流の面影はなく、朦々と地面から湯気が立ち上がり、物音一つしない静かな場所でした。
恐ろしいと言う実感が湧くのかと思っていましたが、感情を呼び起こすものさえも流れてしまったのだという光景に茫然として立ち尽くすしかありませんでした。
それからまた1年。先週末、中学からの親友Yを誘い、石巻へ二人旅をしてきました。兼ねてから、石巻へ行きたいと思っていましたが、タイミングが合い、友人Yに声をかけてから1週間で準備を整えました。
今回、石巻百景のサイトを参考にしながら、次のような基本計画を立て、予約の手配を進めました。
交 通:新幹線(東京-仙台)・レンタカー(仙台-石巻)宿 泊:仙台の予定だったが石巻へ変更訪問先:石巻市街、女川地区、大川小、門脇地区
まず、予想外だったのが、仙台のホテルの予約が取れなかったこと。ネット上で検索できるホテルはことごとく空いていませんでした。観光シーズンなんでしょうか。そこで、石巻のホテルを予約することに。震災の影響で石巻のホテルは空いているだろうと思っていたのですが、営業しているホテル自体が少なく、満室になる直前で予約が取れました。
仙台から石巻へ
生憎の雨でしたが、仙台で車を借り一路石巻へ(仙台東IC-石巻港南IC)。仙台駅周辺の渋滞は予想外でしたが、それ以外はスムーズに進むことができ、石巻の街へ入りました。高速を降りてしばらくは、よくある郊外の風景でしたが、石巻の商店街に入り始めたところ、津波の跡が残っている店舗や家に気づくようになりました。アーケードの屋根も一部壊れています。
それでも、以前、映像で見た光景に比べると、だいぶ綺麗になっているように感じられました。
石巻市街から女川へ
宿泊は石巻なので、石巻市街は翌日回ることにし、まず、女川へ向かいます。
友人Yは震災前に石巻・女川を訪れていたこともあり、思い入れがあるとのこと。女川地区の被害状況は、私がここで記載するまでもありませんが、住民の約10%が亡くなったとのこと…。それでも、津波の被害を受けた方が、自分たちは海からも恵みを貰っている、海を恨む気にもなれないとTVで語っていたのを覚えています。
友人Yは震災前に石巻・女川を訪れていたこともあり、思い入れがあるとのこと。女川地区の被害状況は、私がここで記載するまでもありませんが、住民の約10%が亡くなったとのこと…。それでも、津波の被害を受けた方が、自分たちは海からも恵みを貰っている、海を恨む気にもなれないとTVで語っていたのを覚えています。
確かにリアス式海岸である東北の太平洋沿岸において、女川は海岸線を掘ったような箇所にあり、静かな湾を抱えて天然の漁場となっているようです(途中にマリンパル女川があり、そこのおばあちゃんにサンマの佃煮をご馳走になりました)。
実際に目にすると、女川へ向かう際に目に入る自然の景色は美しいものでした。そして、女川は波一つ見えない静かな湾を抱えています。それこそ、津波なんて想像もつかない静けさです。遠くを見れば風光明媚、しかし、近くを見ると、横倒しになったビル、七十七銀行女川支店跡の慰霊碑がありました。
実際に目にすると、女川へ向かう際に目に入る自然の景色は美しいものでした。そして、女川は波一つ見えない静かな湾を抱えています。それこそ、津波なんて想像もつかない静けさです。遠くを見れば風光明媚、しかし、近くを見ると、横倒しになったビル、七十七銀行女川支店跡の慰霊碑がありました。
大川小へ
多くのダンプカーが道を行き交う中、大川小が姿を現します。他にも訪れている人が何人かいました。震災前の写真では、小学校の周りに家々が並んでいましたが、実際に訪れるとこの地区には壊れた校舎しか残っていませんでした。まず、それが信じられません。
小さな風車がいくつも回り、いくつもの花が飾ってある大きな慰霊碑に手を合わせました。しかし、手を合わせたものの、なんと祈っていいのか分からなくなりました。思わず心の中で言ったことは「天国で再び…」と。天国があるとは全く信じていない自分が、伝えたメッセージは自分でも信じられない言葉でした。ただ、今考えても他に言葉は見つけられません。天国と言う発想は、このような人間の切ない願望から生まれたものなのかもしれません。
さて、一つ確かめたかったことがあります。この大川小の被害では、裏山へどうして避難しなかったのか、と必ず話題に挙がりますが、その裏山までの距離です。写真や時間の聞いてもやはり実感できないものです。今回、実際に目で見て、歩き、確認しました。どうして…と思われる保護者の気持ち、よくわかりました。
それだけ、裏山は近い。でも、行けなかったのが事実としか言えません。
想定外のことが起きたとき、最悪の状況を考えて行動するように心がけるというメッセージを私は受け取りました。そして、大事な家族がそばにいる一瞬一瞬の大切さも。
このあと、石巻へ戻ります。夜更けに驚くべき事態(番外編参照)が待っていました。
まずは中編に続きます。
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