時代が追いついた「先見性」を今こそ再考(Rethink)する。富山和彦氏「G型・L型大学論」が、AI時代に我々へ投げかけるもの(前編)
今から約10年前の2014年秋。日本の教育界、産業界に一つの重要な提言がなされました。
当時、文部科学省の有識者会議委員を務めていた、経営共創基盤(IGPI)CEOの富山和彦氏による「G型大学・L型大学」という分類です。
「大学を、グローバル競争に向かう『G型』と、地域経済を支える『L型』にはっきりと機能分化させるべきだ」
この主張は、当時大きな議論を呼び、様々な賛否両論が巻き起こりました。
あれから10年。2025年の今、私たちは歴史的な転換点に立っています。 生成AIという、人間とは異なる「新たな知性」が社会に実装されたからです。
かつてのこの議論を、AI時代の視点から冷静に振り返ることは、これからの教育とキャリアを考える上で極めて重要な示唆を与えてくれます。
本稿は、特定の主張の是非を問うものではありません。10年前のテキストを補助線として、AIによって前提が覆った新しい世界における「学び」の論点を整理し、再考(Rethink)するための試み(前編)です。
■1. そもそも「G型・L型」とは何だったのか?
10年前の議論を知らない世代のために、まずは富山氏の定義を、当時の資料に基づきニュートラルに振り返ります。
富山氏は、日本の産業構造を二つに分けて捉えました。
- G(Global)の世界: グローバル市場で激しい競争に晒される領域。高い生産性が求められるが、雇用数は限定的。
- L(Local)の世界: 地域に根ざした産業領域。交通、医療、介護など、GDPと雇用の約7割を占めるが、生産性が低いのが課題。
【出典】 2014年10月14日 文部科学省 中央教育審議会大学分科会 富山和彦氏提出資料より
富山氏の問題意識は、「多くの大学が実態はLの世界の人材を輩出しているのに、教育内容が中途半端にアカデミック偏重になっている」というミスマッチにありました。 だからこそ、トップ校以外は地域産業で即戦力となる「実学」に舵を切るべきだ、と提言したのです。
※参考:富山和彦著『なぜ、日本から「真のエリート」が消えたのか?』(PHPビジネス新書)
■2. 当時の議論と、海老原嗣生氏の視点
この提言に対し、当時は「教養(リベラルアーツ)の軽視ではないか」といった慎重な意見も多く見られました。 議論を深めるために、当時、別の角度から分析していた雇用ジャーナリストの海老原嗣生氏の視点も参照しましょう。
海老原氏は、日本の「メンバーシップ型雇用」の特殊性を指摘しました。 日本のホワイトカラーは、特定の職務(ジョブ)ではなく、会社特有の文脈を理解し、様々な部署を調整して動かす「総合職(ゼネラリスト)」として育成されてきた歴史があります。 富山氏が指摘した層は、日本の雇用慣行の中では合理性を持って存在していた「日本型ゼネラリスト」でもあったわけです。
■3. AIの衝撃:議論の前提は根本から覆った
ここからが本題です。 富山氏の「機能分化論」と、海老原氏の「日本型雇用論」。10年前の議論は、あくまで「人間社会の中での役割分担」の話でした。
しかし、今起きていることは、次元が違います。 生成AIの登場は、単なる便利なツールの出現ではありません。一部の専門家が「オートサピエンス(自律的な知性)」と呼ぶような、人間とは異なる知的体系が誕生したことを意味します。
これまで日本の組織を支えてきた、デスクワークを中心とする「調整型ゼネラリスト」の方々の仕事──情報の整理、要約、定型的な資料作成、前例踏襲の調整業務──は、皮肉にも、この新しい知性が最も得意とする領域でした。
かつて「知的」とされてきた業務の多くが、AIによって急速に代替され始めています。これは不可逆的なパラダイムシフトです。 「GかLか」という以前に、「人間が担うべき知性とは何か?」という根源的な問いが突きつけられているのです。
“The best way to predict the future is to create it.”
(未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ。)
AIが瞬時に合理的な予測や「正解」を出してくれるこの時代に、ドラッカーの言葉は重く響きます。
【問いかけ】
AIに未来を予測させるのではなく、人間が意志を持って未来を「創る」ために。
私たちが今、あえて時間をかけ、汗をかき、葛藤しながら「学ぶ」べきことは何でしょうか?
後編では、この問いと向き合い、AI時代に人間が発揮すべき新しい価値と、それを育てる教育の在り方について考えます。