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デジタルとアナログの間を行ったり来たり

テストには出ないけど大事なこと

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 数年前のマイブーム(古?)は映画「Amelie」を見た影響かフランス語となり、その次は世界史だった。

 ちょうどそのあたりから「美の巨人たち」の影響もあり絵画を見るのが面白くなってきたのだが、その時代背景がちんぷんかんぷんだということに気づいた。例えば「ハプスブルグ家」、名だたる名家だそうだが「おそれいりますが、どちら様?」という感じで聞き覚えがなかった。というのも、言い訳にしかならないが高校で理系クラスだったためか世界史を全く習っていないのだ。前に世界史の履修が問題になったが、それにあたるのだろうか。だが私立だし、時代が違うのかもしれないし……後の祭りというか。それはさておき、世界史で習うことはほぼ知らない。だがそれはいささか問題ではなかろうかと思い、NHK高校講座の世界史を録画してなんとなく眺めるようになった。

バラはバラは気高く咲いて~♪ ある時「アメリカ・フランス 二つの革命 ~大西洋革命の時代~」(2007年度版はタイトルが少し違う)という回があり「おー、オスカルの時代だー」などとふまじめにながめていたが、番組最後のまとめの部分で先生が「ここで確認しておきたいことがあります」と改まって話し始めた。普段と同じ淡々とした語り口だが、どこか異例とも言える真摯なオーラのようなものに気づいて耳を傾けた。その先生は学習院大学教授の福井憲彦氏で、民主主義について大事なことを話し始めたのだ。とても印象的だったので、この時の放送はまだ残している。永井孝尚氏の「民主主義は万能か?」を見て再び見返してみた。先生はこう述べていた。

「社会にとってdemocracy、民主主義というのは、はじめからどこかにできあいのモデルがあって、それを棚や引き出しから持ってきて制度として据えればいい、というものでは決してないということです。それぞれの時代が抱える限界を解決していく、その過程でdemocracyは現実化していくものとして考えなくてはならない、そして絶えざる運動の中で作り上げていくものだということであります。ですから、どこかでdemocracyができあがった、あるいは制度を置けば終わったということではなく、一人ひとりの人間や市民が作り上げていくものだということが歴史においても展開したことでありますし、現在もまた必要なことではないでしょうか。今日の話はこれで終わりにします」

 とても含蓄があり印象的な話だった。かつてどこかで「日本の民主主義は棚ぼたのように得られたもの」と聞いたことを思い出す内容だった。現実に目を向けると日本は制度としては(議会制)民主主義ではあるが、立法の現場には党議拘束と与党内の事前審査という習慣があり、本当に民主主義が実践できているのかと疑問に思うことがある。こうした実態は自民党の河野太郎氏がメルマガでよく「出来レース」と称しているように、結局自民党内のなんとか部会で事前に決着がついているのだ。そして国会で議論する時の構図(与党に野党が反発する)も決まっているので理論に無理矢理感を覚えることも少なくない(昨年から「ねじれ」で少しは均衡がに変化が出てきたが、本質的には大して変わらないと思う)。そんなことを漠然と感じていた時に、この話を聞いてとても感銘を受けたのを覚えている。民主主義は体制よりも実践が大事、その努力はまだまだ足りないのではないだろうか、なんてことを自省もこめて考えたのであった。。。

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