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デジタルとアナログの間を行ったり来たり

アートな東京になってほしい

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 いまさらではあるが、ようやく国立新美術館に足を運んだ。「異邦人たちのパリ」が終わる前に観ておきたかったからだ。ついでに今なら「大回顧展モネ」もやっている。張り切って入口で両方の券を購入した。

 まず「異邦人…」。こちらは期待が大きすぎたのか、「アレっ?もう終わり?」というくらいで物足りなかった。やはり本場にいかないといけないのかな(笑)。

 その代わり、モネのほうが存分に楽しめた。よくこんなに集めたものだというくらい。作者の年齢や私生活が作風に与えた影響もいくらか推し量ることができた。

 モネにインスパイアされた作品もいくつか展示されていた。逆に、モネが気に入った浮世絵の太鼓橋を、睡蓮の庭にある太鼓橋の近くに並べても面白かったかも。

 後から気になったのは、関連作品として展示されていたDan Flavin作「無題(レオ、君のために、長年の敬意と愛を込めて)2」だ。前面に黄と青、背面にピンクと緑の蛍光灯を組み合わせている。だがこの展示には部屋が明るすぎて背面の色が目立たない。そういう淡い色調を見るためのものだろうかと思ったが、部屋入口にある作品案内を見ると暗い部屋に展示されている本作品の写真があった。

 あれ?本来はこういう風に展示するもの?

 せっかく部屋を区切ったのだからこの部屋だけ暗くすることもできたはず。でも何らかの理由でできなかったため、入口に写真を貼ったのだろうか。そう思うとこの写真からキュレーターの無念が伝わってくるようだ。

 新国立美術館はほうぼうから作品を集めて展示するための美術館と聞いている。そのために天井を見ると格子状にパーティションのための線が見える。作品の内容に応じて仕切りごとに独自の照明を設定することも必要だろう(できないなんてことないよね、苦笑)。

 こうしていろいろと展示してくれるのは有難いのだが、独自の所蔵品を持たないことはやや気にかかる。これから集めていくならまだしも、大きな美術館で「この絵に会いにこの美術館に来たんだ」と言える作品がないなんてさみしいではないか。まるでテナントを流行に応じて入れ替えるデパートとか、シネコンみたいだ。

 まだ東京は「美術館の箱は作ったが、中身はこれから」なのかもしれない。美術館の中も人の心も潤うといいなと思う。

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